四国7番 十楽寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国7番 光明山 蓮華院 十楽寺
阿波国板野郡高尾村(徳島県阿波市高尾)

四国7番十楽寺の納経

6番安楽寺から7番十楽寺までは1km余り。十楽寺の現在の宗派は高野山真言宗ですが、寛政3年(1791)の古義真言宗本末牒によれば、当時は大覚寺の末寺だったそうです。

寺伝によれば、大同年間(806~10)当地に留錫した弘法大師が阿弥陀如来を感得し、楠に阿弥陀如来を刻みました。これを本尊として一宇を建立し、人の世の八苦を離れて極楽世界の十楽の光明に住すべしとして、光明山十楽寺と名付けたとされます。

元は現在地より3kmほど北の十楽寺谷にあったとされます。当時は七堂伽藍を備えた大寺院であったと伝わりますが、十楽寺谷からは平安時代の古瓦が見つかっているそうです。天正年間(1573~92)長曽我部の兵火により焼失、その後現在地に再興されました。

承応2年(1653)に四国を巡拝した澄禅の『四国遍路日記』には「堂も形ばかり、本尊阿弥陀如来御首ばかりあり」と荒れ果てた様子を記していますが、それから36年後の元禄2年(1689)に刊行された『四国徧礼霊場記』の挿絵には本堂や御影堂、庵、方丈などが描かれており、この間に寺の再建・整備が進んだようです。

十楽寺の納経

四国7番十楽寺の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に

「奉納経」
「本尊阿弥陀如来」
「阿州光明山」「十楽寺」
「行者丈」
「酉三月十四日」

中央に朱印はありません。右上の印は「四国第七番」、左下の印は「蓮華」です。「蓮華」の印は院号によるもので、天保11年(1840)の納経帳でも同じ印が使われています。

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十楽寺の概要

光明山 蓮華院 十楽寺
現名称:光明山 蓮華院 十楽寺
御本尊:阿弥陀如来
創建年代:大同年間(806~10)
所在地:阿波国板野郡高尾村(徳島県阿波市高尾)
宗派等:高野山真言宗

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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