四国1番 霊山寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国1番 竺和山 一乗院 霊山寺
阿波国板野郡板東村(徳島県鳴門市大麻町板東)

四国1番霊山寺の納経印

讃岐から阿波に入った太郎助は、1番札所霊山寺から参拝を始めています。

寺伝によれば、天平年間(729~49)聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したとされます。弘仁6年(815)弘法大師が訪れた際、霊鷲山で説法されるお釈迦様の姿を感得し、天竺の霊山を日本(和)に移すという意味から「竺和山 霊山寺」と名付けられたと伝えられます。

霊鷲山というのは、マガダ国の首都であったラージキル(王舎城)郊外の小高い山で、お釈迦様がたびたび説法をされた霊跡です。多くの経典の舞台となっており、法華経も霊鷲山で説かれたということになっています。「霊山」は霊鷲山の略です。

四国八十八ヶ所の札所番号が確定・定着したのはそれほど古い時代ではありません。しかし、承応2年(1653)に四国を巡拝した澄禅大徳は16番井戸時から打ち始めているのですが、本来は霊山寺から回るべきと『四国辺路日記』に記しています。霊山寺から出発するべきという観念がかなり古くからあったことを伺わせます。当時、兵火のために1番から10番までの十里十ヶ寺が衰微し、井戸寺から始めることが推奨されていたことを考えると、長曽我部元親による四国統一以前にさかのぼると考えるのが妥当ではないでしょうか。

霊山寺の納経

四国1番霊山寺の納経印

『順拝帳』を見ると、墨書部分は右から順に
「奉納経」
「本尊釈迦如来」
「阿波竺和山」「霊山寺」
「三月十三日」

中央の朱印は十六八重菊に卍。右上は「四国第一番」、左下は「弌乗院」(弌=一、因みに弐=二、弎=三)。いずれも天保11年の納経帳にあるものと同じようです。特に左下の印は現在使われている印と同じだと思われます。

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霊山寺の概要

竺和山 一乗院 霊山寺(りょうぜんじ)
現名称:竺和山 一乗院 霊山寺
御本尊:釈迦如来
創建年代:天平年間(729~49)
開山:行基菩薩
所在地:阿波国板野郡板東村(徳島県鳴門市大麻町板東)
宗派等:高野山真言宗

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