妻科神社 善光寺三鎮守・善光寺七社

長野県長野市南長野妻科218(Mapion/googlemap

妻科神社

信州善光寺の御開帳がはじまりました。善光寺の周りには、本坊である大勧進・大本願をはじめ、善光寺ゆかりの寺院が数多くあります。また、善光寺三社鎮守(妻科神社・湯福神社・武井神社)・善光寺七社(三鎮守と加茂神社・美和神社・木留神社・柳原神社)など古くから善光寺とかかわりの深い神社もあります。

今回はその一つ、妻科神社をとり上げたいと思います。

参拝したのは平成24年9月。3回目の善光寺参拝に合わせてでした。ほぼ一日かけて、レンタサイクルで善光寺周辺のお寺や神社を巡ったのですが、坂が多くて思った以上に大変でした。

妻科神社が鎮座するのは長野県庁の少し北、南向きの傾斜地で、住宅地の中ですが、境内にはなかなか立派な木が生えています。

妻科神社手水舎

手水舎。

妻科神社天神社

天神社。

妻科神社拝殿

拝殿。幕には梶の葉の神紋。両脇には一の柱と二の柱が立っています。妻科神社は健御名方富命彦神別神社・湯福神社・武井神社の4社持ち回りで、寅年・申年に御柱祭を行っているそうです。

妻科神社幣殿

拝殿の後ろは傾斜になっています。権現造のように見えますが、本殿はさらに高い丘の上にありますので、こちらは幣殿だろうと思います。

妻科神社本殿

本殿。拝殿に比べると、やや小ぶりな印象です。

妻科神社は上西之門町にある弥栄神社の宮司さんが兼務されており、御朱印もそちらで対応していただけます。事前に電話で確認したところ、当日は忙しくて午前・午後ともに外に出ているものの、弥栄神社に帰っている時間帯なら対応していただけるということでした。打ち合わせた時間にお伺いして、書置きの御朱印をいただきました。慌ただしいところ、気持ちよく対応していただけて感謝でした。

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妻科神社の御朱印

妻科神社の御朱印

妻科神社の御朱印。上の印は「妻科神社御璽」、下の印は「妻科神社」。

宮司さんは他にも湯福神社や善光寺七社の加茂神社も兼務していらっしゃるということで、弥栄神社・妻科神社と合わせ、4社の御朱印をいただきました。後日調べたところ、善光寺七社のうち、木留神社・柳原神社も兼務しておられるようなのですが、そちらの御朱印の有無については未確認です。

妻科神社の概要

妻科神社(つましな じんじゃ)
正式名称:妻科神社
御祭神:八坂刀売命、配祀/建御名方命、彦神別命
創建年代:不詳
鎮座地:長野県長野市南長野妻科218
社格等:式内社、旧県社

【由緒】
妻科神社の創建は不詳ですが、『三代実録』貞観2年(860)2月5日条に従五位下を奉授された記事があり、それ以前の創建と考えられています。同5年(863)には従五位上に進められました。延喜式神名帳には水内郡9座の一として記載されています。

諏訪大社のもっとも古い分社の一つで、御祭神の八坂刀売命は相殿に祀られている建御名方命の妃。古くは両神の御子神・妻科姫命を祀っていたと考えられています。

相殿に祀られているもう一柱・彦神別命も両神の御子神で、これも善光寺と関わりの深い健御名方富命彦神別神社(水内大社・城山県社)の御祭神です。健御名方富命彦神別神社は『日本書紀』持統天皇6年8月に龍田風神(龍田大社)・信濃須波(諏訪大社)とともに使者が遣わされた水内神に比定されますが、八坂刀売命を祀る妻科神社、建御名方命の荒魂を祀る湯福神社、同じく建御名方命の和魂を祀る武井神社と一体をなすという見方もあります。

中世以降は湯福神社・武井神社とともに戸隠神社の護法神とされ、江戸時代には善光寺三社鎮守として崇敬されました。当時は妻科諏訪大明神と呼ばれていましたが、宝暦14年(1764)妻科神社の名に復しました。

明治6年(1873)郷社に列格、昭和6年(1931)県社に昇格。

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