明治4年の官国幣社一覧

伊弉諾神宮・海神社の御朱印

明治15年(1882)伊弉諾神社(伊弉諾神宮)と海神社の御朱印

神社の社号標や由緒書などに見られる「官幣大社」「県社」「村社」など、一般に旧社格と称される近代社格制度による社格は、明治4年(1871)5月14日の太政官布告「官社以下定額・神 官職制等規則」によって基本が定められました。

この布告では、神社の格を大きく官社(官幣社・国幣社、官国幣社とも呼ばれる)と諸社(府・藩・県社、郷社)に分け(村社は同年7月4日の『郷社定則』で設けられた)、官社として97社を列格しています。

その後、昇格や列格があり、昭和20年(1945)の終戦時には当初の2倍を超える218社が官社に列していました。現在、私たちが認識している官国幣社はこの時点のもので、ネット上でもさまざまなサイトに一覧が掲載されています。しかし、明治4年時点での官国幣社についてはほとんど見ることができません。

どこかに資料がないかと探したところ、国会図書館デジタルコレクションの『明治四年 布告全書五』(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2938298/30)に同布告の全文が掲載され、官社の一覧もありました。昭和20年時点の一覧と比較すると、社号の変わった神社や角避彦神社のように社格を除かれた神社の名も見え、なかなか興味深い内容となっています。

なお、同布告は『法令全書 明治四年』(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787951/130)にも掲載されていますが、官社の一覧は同書が刊行された明治20年以前の昇格を反映したものとなっているため、あまり参考にはできません。

近代社格制度成立以前

明治4年の上記太政官布告以前の社格としては、勅祭社・神祇官直支配社・准勅祭社や二十九社があります。

勅祭社・神祇官直支配社

近代社格制度成立以前の勅祭社・神祇官直支配社は、現在に続く明治16年(1883)以降の勅祭社とは別のもので、明治元年(1868)10月、明治天皇が氷川神社を御親祭され、その後勅祭社とされたのが始まりで、同年11月には東京府内および近郊の12社が准勅祭社とされました。明治3年(1870)4月の時点では以下の諸社が挙げられています(『法規分類大全34 社寺門第1 神社第1』による)。ここでは准勅祭社は東京十二社とされています。

■勅祭
・伊勢両宮  ・石清水  ・加茂下上  ・大原野  ・吉田  ・八阪  ・松尾  ・北野  ・平野  ・稲荷  ・梅宮  ・武蔵氷川  ・春日
■直支配
・日吉  ・住吉  ・熱田  ・杵築  ・宇佐  ・阿蘇  ・太宰府  ・豊前英彦山  ・金刀比羅  ・日前國懸  ・熊野三山  ・三輪  ・大倭  ・龍田  ・石上  ・廣瀬  ・摂津廣田  ・諏訪  ・戸隠  ・鹿島  ・香取  ・出雲日御崎  ・出雲熊野  ・白岑  ・鎌倉宮
■東京十二社
・日枝  ・根津  ・芝神明  ・神田  ・白山  ・亀戸  ・品川貴船(※品川の誤りか)・富岡八幡  ・王子  ・赤坂氷川  ・府中六所  ・鷲宮

上記のうち、東京十二社は(1870)9月に准勅祭社の称を廃され、府県の管轄となります。後に日枝神社が官幣大社、大國魂神社(府中六所)が官幣小社に昇格しました。また、神祇官直支配社のうち熊野三山の新宮・那智、戸隠、白峯、鎌倉宮は明治4年の太政官布告で官社の列に漏れましたが、いずれも後に昇格し、官国幣社となっています。

二十九社

二十九社は明治3年(1870)2月9日の太政官から神祇官への御沙汰『別紙二十九社奉幣祭典後再興ニ付式目委細取調候様 御沙汰候事』に挙げられています。基本的に中世以来の二十二社を踏襲・拡大したもので、大奉幣5社、大祭5社、中奉幣5社、中祭2社、小奉幣5社、小祭7社からなります(『法令全書 明治3年』による)。

■大奉幣
・出雲大社  ・熱田  ・宇佐  ・鹿島  ・香取
■大祭
・賀茂上下  ・一ノ宮氷川  ・石清水  ・春日
■中奉幣
・香椎  ・宗像  ・日吉  ・三輪  ・大和
■中祭
・八坂  ・北野
■小奉幣
・太宰府  ・廣瀬  ・石上  ・廣田  ・住吉
■小祭
・松尾  ・大原野  ・吉田  ・平野  ・稲荷  ・梅宮  ・貴船

これらの29社はいずれも明治4年の時点で官社とされています。二十二社のうち龍田と丹生川上が含まれていませんが、明治4年の太政官布告では官幣大社に列しています。

伊勢の神宮も含まれていませんが、近代社格制度においてと同じく「すべての神社の上にある特別の存在」とされたからでしょう。

明治4年の官国幣社一覧

明治四年 布告全書五

『明治四年 布告全書 五』(国会図書館デジタルコレクション)

以下の一覧は、国会図書館デジタルコレクションの『明治四年 布告全書 五』の「官社以下定額・神 官職制等規則」に基づいています。社名の表記も同書に従っています。

同布告では社号と国名が記載されているだけですが、わかりやすくするために現在の社号と昭和20年時点での社格(最終社格)を付け加えています。また、それ同布告以前の社格と比較するため、備考欄に二十二社・一宮・勅祭社(勅祭)・神祇官直支配社(直支配)・二十九社(大奉幣・大祭・中奉幣・中祭・小奉幣・小祭)を記載しています。

明治4年時点の官国幣社は官幣社35社(官幣大社29社・官幣中社6社)、国幣社62社(国幣中社45社・国幣小社17社)で、官幣小社・国幣大社は存在していませんでした。

当初の原案では鎌倉宮の官幣小社列格が予定されていたようですが、布告では削除され、明治5年(1872)に国幣小社から昇格した札幌神社(北海道神宮)が初めての官幣小社となります。なお、鎌倉宮は明治6年(1873)官幣中社に列格しました。

国幣大社は、大正4年(1915)国幣中社気多神社(気多大社)・同大山祇神社・同高良神社(高良大社)・県社多度神社(多度大社)が昇格したのが初めてです。

別格官幣社はこの時点では設けられておらず、翌明治5年(1872)湊川神社が初めて列格しました。

また、明治4年の太政官布告の時点で所在地不明とされていた神社もいくつかありました。激しい論争の末、論社がともに列格したり(都々古別神社、二荒山神社)、一社としての扱いになったり(丹生川上神社、大物忌神社)、別に新しく社殿を造営して遷座したり(忌部神社)ということもありましたが、中には角避彦神社のように所在地不明のまま社格を除かれた例もあります。

官幣大社
社号 現在の社号 国名 最終社格 備考
賀茂別雷神社   山城国   二十二社・一宮・勅祭・大祭
賀茂御祖神社   山城国   二十二社・一宮・勅祭・大祭
男山八幡宮 石清水八幡宮 山城国   二十二社・勅祭・大祭(※1)
松尾神社 松尾大社 山城国   二十二社・勅祭・小祭
平野神社   山城国   二十二社・勅祭・小祭
稲荷神社 伏見稲荷大社 山城国   二十二社・勅祭・小祭
大神神社   大和国   二十二社・一宮・直支配・中奉幣
大和神社   大和国   二十二社・直支配・中奉幣
石上神社 石上神宮 大和国   二十二社・直支配・小奉幣(※2)
春日神社 春日大社 大和国   二十二社・勅祭・大祭社
廣瀬神社   大和国   二十二社・直支配・小奉幣
龍田神社 龍田大社 大和国   二十二社・直支配
丹生川上神社 (丹生川上神社下社) 大和国   二十二社(※3)
枚岡神社   河内国   一宮
大鳥神社 大鳥大社 和泉国   一宮
住吉神社 住吉大社 摂津国   二十二社・一宮・直支配・小奉幣
生國魂神社   摂津国    
廣田神社   摂津国   二十二社・直支配・小奉幣
氷川神社   武蔵国   一宮・勅祭・大祭
安房神社   安房国   一宮
香取神社 香取神宮 下総国   一宮・直支配・大奉幣(※4)
鹿島神社 鹿島神宮 常陸国   一宮・直支配・大奉幣(※5)
三島神社 三嶋大社 伊豆国   一宮
熱田神社 熱田神宮 尾張国   直支配・大奉幣(※6)
日吉神社 日吉大社 近江国   二十二社・直支配・中奉幣
日前神社 日前神宮 紀伊国   一宮・直支配(※7)
國懸神社 國懸神宮 紀伊国   一宮・直支配(※8)
出雲大社   出雲国   一宮・直支配・大奉幣
宇佐神社 宇佐神宮 豊前国   一宮・直支配・大奉幣(※9)
官幣中社
社号 現在の社号 国名 最終社格 備考
梅宮神社 梅宮大社 山城国   二十二社・勅祭・小祭
貴舩神社 貴船神社 山城国   二十二社・小祭
大原野神社   山城国   二十二社・勅祭・小祭
吉田神社   山城国   二十二社・勅祭・小祭
北野神社 北野天満宮 山城国   二十二社・勅祭・中祭
八阪神社 八坂神社 山城国 官幣大社 二十二社・勅祭・中祭(※10)
官幣小社
社号 現在の社号 国名 最終社格 備考
なし        
国幣大社
社号 現在の社号 国名 最終社格 備考
なし        
国幣中社
社号 現在の社号 国名 最終社格 備考
敢國神社   伊賀国   一宮
角避彦神社 遠江国 明治18年除列(※11)
浅間神社 富士山本宮浅間大社 駿河国 官幣大社 一宮(※12)
浅間神社   甲斐国   一宮
寒川神社   相模国   一宮
玉前神社   上総国   一宮
南宮神社 南宮大社 美濃国 国幣大社 一宮(※13)
諏訪神社 諏訪大社 信濃国 官幣大社 一宮(※14)
貫前神社 一之宮貫前神社 上野国   一宮
二荒山神社 (宇都宮二荒山神社) 下野国   一宮(※15)
都々古別神社 (馬場都々古別神社) 磐城国   一宮(※16)
志波彦神社   陸前国   (※17)
大物忌神社 鳥海山大物忌神社 羽後国   一宮(※18)
若狭彦神社   若狭国   一宮
氣比神社 氣比神宮 越前国 官幣大社 一宮(※19)
氣多神社 氣多大社 能登国 国幣大社 一宮(※20)
射水神社   越中国   一宮
彌彦神社   越後国   一宮
出雲神社 出雲大神宮 丹波国   一宮
籠神社   丹後国   一宮
出石神社   但馬国   一宮
宇倍神社   因幡国   一宮
熊野神社 熊野大社 出雲国 国幣大社 直支配(※21)
水若酢神社   隠岐国   一宮
海神社   播磨国 官幣中社 (※22)
中山神社   美作国   一宮
安仁神社   備前国    
吉備津神社   備中国 官幣中社 一宮(※23)
嚴島神社   安芸国 官幣中社 一宮(※24)
住吉神社   長門国 官幣中社 一宮(※25)
熊野座神社 熊野本宮大社 紀伊国 官幣大社 直支配(※26)
伊弉諾神社 伊弉諾神宮 淡路国 官幣大社 一宮(※27)
忌部神社   阿波国   (※28)
田村神社   讃岐国   一宮
大山祇神社   伊予国 国幣大社 一宮(※29)
土佐神社   土佐国   一宮
宗像神社 宗像大社 筑前国 官幣大社 中奉幣(※30)
香椎宮   筑前国 官幣大社 中奉幣(※31)
高良神社 高良大社 筑後国 国幣大社 一宮(※32)
西寒多神社   豊後国   一宮
田島神社   肥前国    
阿蘇神社   肥後国 官幣大社 一宮・直支配(※33)
鹿兒島神社 鹿児島神宮 大隅国 官幣大社 一宮(※34)
住吉神社   壱岐国    
海神神社   対馬国   一宮
国幣小社
社号 現在の社号 国名 最終社格 備考
砥鹿神社   三河国   一宮
水無神社 飛騨一宮水無神社 飛騨国   一宮
駒形神社   陸中国    
出羽神社   羽前国    
白山比咩神社   加賀国 国幣中社 一宮(※35)
度津神社   佐渡国   一宮
大神山神社   伯耆国    
日御﨑神社 日御碕神社 出雲国   直支配
物部神社   石見国   一宮
沼名前神社   備後国    
玉祖神社   周防国 国幣中社 一宮(※36)
事比羅神社 金刀比羅宮 讃岐国 国幣中社 直支配(※37)
英彦山神社 英彦山神宮 豊前国 官幣中社 直支配(※38)
太宰府社 太宰府天満宮 筑前国 官幣中社 直支配・小奉幣(※39)
都農神社   日向国    
枚聞神社   薩摩国   一宮
札幌神社 北海道神宮 石狩国 官幣大社 (※40)

※1…男山八幡宮:大正7年(1918)1月23日、石清水八幡宮に復称。

※2…石上神社:明治16年(1883)4月17日、神宮号復旧。

※3…丹生川上神社:明治4年の時点では長谷村の丹生明神(現在の下社)が丹生川上神社とされていたが、明治29年(1896)長谷村の丹生川上神社を丹生川上神社下社、迫村の高龗神社を丹生川上神社上社とし、両社を合わせて官幣大社丹生川上神社とした。さらに大正11年(1922)小村の蟻通神社が丹生川上神社中社とし、改めて3社を合わせて官幣大社丹生川上神社とされることになった。第二次大戦後、3社はそれぞれ独立した神社となっている。

※4…香取神宮:明治4年以前から神宮号を称していたが、布告では「香取神社」と記載されている。

※5…鹿島神宮:明治4年以前から神宮号を称していたが、布告では「鹿島神社」と記載されている。

※6…熱田神宮:明治4年以前から神宮号を称していたが、布告では「熱田神社」と記載されている。

※7…日前神社:明治14年(1881)2月2日、神宮号復旧。

※8…國懸神社:明治14年(1881)2月2日、神宮号復旧。

※9…宇佐神宮:明治4年以前から神宮号を称していたが、布告では「宇佐神社」と記載されている。

※10…八坂神社:布告では「八阪神社」と表記されている。大正4年(1915)11月10日、官幣大社昇格。

※11…角避彦神社:延喜式神名帳では「角避比古神社」だが、太政官布告では「角避彦神社」と表記されている。所在地不分明のまま国幣中社に列格。気賀村の細江神社、新居宿の湊神社などが論社とされるが、明治18年(1885)6月、所在地不明として列を除かれる。

※12…浅間神社:明治29年(1896)7月8日、官幣大社昇格。

※13…南宮神社:大正14年(1925)10月31日、国幣大社昇格。

※14…諏訪神社:明治29年(1896)4月14日、官幣中社昇格。大正5年(1916)12月12日、官幣大社昇格。

※15…二荒山神社:明治4年の時点では宇都宮二荒山神社が国幣中社に列するが、明治6年(1873)日光二荒山神社が式内社とされて国幣中社に列格、宇都宮二荒山神社は県社に降格される。明治16年(1883)宇都宮二荒山神社も式内論社と認められ、国幣中社に復帰する。

※16…都々古別神社:明治4年の時点で馬場都々古別神社が国幣中社に列した。これに八槻村の近津神社(八槻都々古別神社)が抗議、論争の結果両社同格と認められ、明治18年(1885)近津神社を都々古別神社と改称、国幣中社に昇格した。

※17…志波彦神社:明治7年(1874)旧社地狭小のため鹽竈神社別宮に遷祀。昭和13年(1938)同境内の現社地に社殿を造営し、遷座した。

※18…大物忌神社:明治4年の時点では、吹浦の両所宮(大物忌月山神社、現在の吹浦口ノ宮)が大物忌神社とされた。明治13年(1880)鳥海山山頂を本社とし、吹浦と蕨岡の大物忌神社を里宮(後に口ノ宮)とした。

※19…気比神社:明治28年(1895)1月4日、官幣大社に昇格。同年3月、神宮号宣下。

※20…気多大社:大正4年(1915)11月10日、国幣大社に昇格。

※21…熊野神社:大正5年(1916)2月17日、国幣大社に昇格。

※22…海神社:明治30年(1897)3月9日、官幣中社に昇格。

※23…吉備津神社:大正3年(1914)1月4日、官幣中社に昇格。

※24…厳島神社:明治44年(1911)1月6日、官幣中社に昇格。

※25…住吉神社:明治44年(1911)1月6日、官幣中社に昇格。

※26…熊野坐神社:太政官布告では「熊野座神社」と表記。大正4年(1915)11月10日、官幣大社に昇格。

※27…伊弉諾神社:明治18年(1885)4月22日、官幣大社昇格。伊弉諾神宮への改称は昭和29年(1954)。

※28…忌部神社:所在地不明のまま国幣中社に列格、当座の処置として大麻比古神社に合祀。明治5年(1872)麻植郡山崎村の天日鷲神社(現・山崎忌部神社)が式内忌部神社に比定され、忌部神社と改称して国幣中社に列格されるが、明治14年(1881)美馬郡西端山の御所神社に変更される。両社の論争が激化したため、明治20年(1887)徳島勢見山の現社地に社殿を造営し、遷座奉斎した。

※29…大山祇神社:大正4年(1915)11月10日、国幣大社に昇格。

※30…宗像神社:明治18年(1885)4月22日、官幣中社に昇格。明治34年(1901)7月11日、官幣大社に昇格。

※31…香椎宮:明治18年(1885)4月22日、官幣大社に昇格。

※32…高良神社:大正4年(1915)11月10日、国幣大社に昇格。

※33…阿蘇神社:明治23年(1890)4月、官幣中社に昇格。大正3年(1914)1月4日、官幣大社昇格。

※34…鹿児島神社:明治7年(1874)3月25日、神宮号宣下、官幣中社に昇格。明治28年(1895)10月19日、官幣大社に昇格。

※35…白山比咩神社:大正3年(1914)3月4日、国幣中社に昇格。

※36…玉祖神社:大正4年(1915)11月10日、国幣中社に昇格。

※37…事比羅神社:明治18年(1885)4月22日、国幣中社に昇格。金刀比羅宮に改称した時期は不詳だが、明治5年(1872)8月以降の公文書には使用されているという。

※38…英彦山神社:明治23年(1890)11月、官幣小社に昇格。明治30年(1897)3月9日、官幣中社に昇格。英彦山神宮への改称は昭和50年(1975)。

※39…太宰府社:明治5年(1872)太宰府神社と改称。明治15年(1882)7月8日、官幣小社に昇格。明治28年(1895)1月4日、官幣中社に昇格。太宰府天満宮への復称は昭和22年(1947)。

※40…札幌神社:明治5年(1872)1月25日、官幣小社に昇格。明治26年(1893)11月(?)、官幣中社に昇格。明治32年(1899)9月1日、官幣大社に昇格。北海道神宮への改称は昭和39年(1964)。

コメント

  1. […] 格の伊勢神宮を除く各神社は、すべて当初より官幣大社・官幣中社に列している(明治4年の官国幣社一覧)。現代においても二十二社巡りのツアーが企画されるなど、依然として高い権 […]

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