四国八十八ヶ所

納経印、参拝記、考察など四国八十八ヶ所に関する話題

寺社霊場考察

四国八十八ヶ所が固定されたのはいつか

私は四国八十八ヶ所の成立について、遅くとも16世紀半ば頃までに85ヶ所程度の「大師御定ノ札所」が成立し、江戸時代になって語呂のよい「四国八十八ヶ所」という呼称が流布し、それに合わせて札所の数を調整して88ヶ所になったと考えています。
寺社霊場考察

四国八十八ヶ所は本来85ヶ所程度だったのではないか

前回は、四国八十八ヶ所の「八十八」という数には、もともと深い意味はなかったのではないかということを述べました。 その理由として、四国八十八ヶ所が固定される時に、いきなり八十八ヶ所に限定されたわけではなく、まず85ヶ所程度の札所が成立し、語呂...
寺社霊場考察

四国八十八ヶ所はなぜ「八十八」か?

私の御朱印拝受は四国八十八ヶ所から始まりました。このブログやサイトでも取り上げることが多いため、各寺社の歴史や古い納経帳を調べることも多いのですが、そこで気づいたり考えたりしたこともいろいろあります。そこで、少し御朱印を離れて四国八十八ヶ所...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

四国74番 甲山寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 四国74番 医王山 多宝院 甲山寺 讃岐国多度郡弘田村(香川県善通寺市弘田町) いよいよ太郎助による四国巡拝最後の寺、74番甲山寺です。といっても、順拝の旅はまだまだ続くのですが。
文政8年『神社仏閣順拝帳』

四国73番 出釈迦寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 四国73番 我拝師山 出釈迦寺 讃岐国多度郡吉原村(香川県善通寺市吉原町) 73番出釈迦寺はもともと72番曼荼羅寺の奥の院だったといわれます。西行の『山家集』で「曼荼羅寺の行道所」と呼ばれているのも、その傍証にな...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

四国72番 曼荼羅寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 四国72番 我拝師山 延命院 曼荼羅寺 讃岐国多度郡吉原村(香川県善通寺市吉原町) いよいよ現在の善通寺市まで戻ってきました。太郎助が四国巡拝のスタート地点とした善通寺まで、もう一息です。
文政8年『神社仏閣順拝帳』

四国71番 弥谷寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 四国71番 剣御山 千手院 弥谷寺 讃岐国三野郡大見村(香川県三豊市三野町大見) 71番弥谷寺は弥谷山の中腹にあります。弥谷山は古くより霊山(仏山)として信仰を集め、日本三大霊場(恐山・臼杵の石仏・弥谷山)の一つ...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

四国70番 本山寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 四国70番 七宝山 持宝院 本山寺 讃岐国三野郡寺家村(香川県三豊市豊中町本山甲) 70番本山寺には四国八十八ヶ所でも4ヶ寺にしかない五重塔があります。長曽我部の兵火にも焼け残った大同4年(809)建立の塔でした...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

四国69番 観音寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 四国69番 七宝山 神恵院 観音寺 讃岐国豊田郡寺家分(香川県観音寺市八幡町) 68番神恵院と69番観音寺は一つの境内に二つの札所があることで知られていますが、江戸時代以前の納経帳を見ると、当時も観音寺で2ヶ所分...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

四国68番 琴弾八幡宮・神恵院〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 四国68番 琴弾八幡宮・七宝山 観音寺 神恵院 讃岐国豊田郡寺家分(香川県観音寺市八幡町) 四国29日目の4月8日は68番琴弾八幡宮から75番善通寺まで。太郎助の四国巡拝最終日ですが、札所が集中している地域なので...