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江戸時代の納経印
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文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国16番 清水寺〈文政8年〉
文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国16番 音羽山 清水寺 山城国 洛東 清水門前 六波羅蜜寺を参拝した太郎助は、そのまま続けて清水寺に参拝しています。六波羅蜜寺から清水寺の仁王門までは徒歩10分あまりの距離です。 「清水の舞台」や「音羽の滝」で名高い清... -
文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国17番 六波羅蜜寺〈文政8年〉
文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国17番 補陀洛山 六波羅蜜寺 山城国 洛東 轆轤町(京都市東山区轆轤町) 太郎助は西国18番頂法寺(六角堂)、19番行願寺(革堂)を参拝した後、鴨川を渡って西国17番六波羅蜜寺に参拝しています。 六波羅蜜寺を開創した空也上... -
文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国19番 行願寺(革堂)〈文政8年〉
文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国19番 霊麀山 行願寺(革堂) 山城国 上京 行願寺門前町(京都市中京区行願寺門前町) 西国18番頂法寺に参拝した太郎助は続いて19番の行願寺に参拝しています。行願寺は革堂(こうどう)あるいは一条革堂の名で知られ、六角... -
文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国18番 頂法寺(六角堂)〈文政8年〉
文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国18番 紫雲山 頂法寺(六角堂) 山城国 下京 堂之前町 (京都市中京区堂之前町) 善峯寺に参拝した太郎助は京の町に入り、まず西国18番頂法寺に参拝しています。頂法寺は六角堂の名で親しまれ、また華道の池坊の発祥の地と... -
文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国20番 善峯寺〈文政8年〉
文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国20番 西山 善峯寺 山城国乙訓郡小塩村(京都市西京区大原野小塩町) 総持寺を参拝した太郎助は再び山城国に入り、西国20番善峯寺に参拝しています。摂津と山城の境、釈迦岳の山腹に多くの堂塔が立ち並び、境内の広さは約3万... -
文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国22番 総持寺〈文政8年〉
文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国22番 補陀洛山 総持寺 摂津国島下郡総持寺村(大阪府茨木市総持寺) 西国23番勝尾寺を参拝した太郎助は京都のほうへ向きを変え、22番総持寺を参拝しています。総持寺の御本尊は亀の背に乗った観音様として有名です。 総持寺... -
御朱印考察
納経請取状から御朱印へ〔四天王寺〕
これまで何度も書いてきたように、御朱印の起源は六十六部廻国聖の納経請取状です。これは江戸時代の納経帳や六十六部の研究から明らかなのですが、残念なことにこれまで納経請取状の実物を見る機会がありませんでした。 ところが先日、国立東京博物館で行... -
文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国23番 勝尾寺〈文政8年〉
文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国23番 応頂山 勝尾寺 摂津国島下郡粟生村(大阪府箕面市粟生間谷) 西国21番穴太寺を参拝した太郎助は、22番総持寺ではなく23番勝尾寺に向かっています。24番中山寺以西の寺は既に参拝し終えているため、勝尾寺から総持寺、... -
文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国21番 穴太寺〈文政8年〉
文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国21番 菩提山 穴太寺 丹波国桑田郡穴太村(京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻) 嵯峨の清凉寺を参拝した太郎助は、そのまま丹波へ抜けて西国21番穴太寺に参拝しています。 穴太寺は菩提山と号し、「あなおうじ」「あなおじ」「... -
文政8年『神社仏閣順拝帳』
清凉寺〈文政8年〉
文政8年『神社仏閣順拝帳』 五台山 清凉寺 山城国葛野郡上嵯峨村(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町) 石山寺に参拝した太郎助は大津から京都を横断したようで、嵯峨の清凉寺に参拝しています。清凉寺の御本尊・赤栴檀の釈迦如来は釈尊37歳の生身のお姿をそ...