「御朱印を集めていて、何か御利益があるのか?」と聞かれることがあります。
実際に御朱印を集めている人から聞かれたことはありません。むしろ、御朱印は知っているが自分ではいただいたことがなく、宗教とは距離を置きたいが興味はあるといったスタンスの人には気になる事柄のようです。
もちろん聞くほうは軽い気持ちで聞いているのでしょうが、私は長く新宗教の世界に関わっていて「御利益」というのは常に重大関心事だったものですから、御利益の有無といわれるとつい真面目に考えてしまいます。
ということで、御朱印の御利益について、長年御利益について考察してきた立場からまとめてみました。
御利益目的の人は多くないのでは?
特に願意があって四国や西国巡拝をしている人ならともかく、実際に御朱印を集めている人の多くは、別に御利益を期待しているというわけではないと思います。御朱印拝受に限らず、神社仏閣巡りが好きという人の多くもそうでしょう。
ネット上の記事を見ても、御朱印についての「御利益」を強調するのは、実際には自分では御朱印を集めてない人とか、御朱印をいただき始めて間もない人が多いように思います。
逆に、長年御朱印をいただいている人は、御利益には触れないか、触れても申し訳程度のようです。そもそも御利益目当てでは長続きしないでしょうし、もし御利益という気持ちがあって始めたとしても、長く続けているうちに寺社参拝や御朱印拝受自体が楽しくなって、御利益はどっちでもよくなるのではないでしょうか。
人気を集めている限定御朱印や「アートな御朱印」とやらでも、特別な御利益を謳っている例は見たことがありません。
一方で、御朱印をいただくようになって運がよくなった、御利益があったという話も聞きます。
以前、御朱印のことについて打診を受けたテレビのプロデューサーが言っていたのですが、御朱印の特集で取材した人の多くが、御朱印をいただくようになって運がよくなった、御利益があったと話していたそうです。
これはもっともな話で、そもそも私が宗教や御利益に深く関心を持つようになったきっかけは四国八十八ヶ所を巡拝したときの体験がきっかけでした。御朱印をいただくようになって運がよくなったというのは、別に不思議な話ではありません。
そもそも御朱印をいただけることが御利益である
本質的なことを言うならば、そもそも御朱印をいただけるということ自体、すでに御利益をいただいているということです。
よく言われることですが、我々は生かされて生きています。自分の力だけで生きている人はいません。水も空気も太陽の光も大地も、人間が生きていく上で絶対に必要なもので人間が作り出したものは何一つありません。心臓を意識して動かしている人はいません。祈ろうが祈るまいが、神社やお寺に参ろうが参るまいが、すでに御利益をいただいているわけです。
まして御朱印をいただくことができるというのは、神社やお寺にお参りできる程度の経済的・時間的・精神的余裕があり、それなりに健康にも恵まれているということです。ありがたいことではないでしょうか。
先にも書いたように、特別な願意があって四国や西国の霊場巡拝をする人は別として、御朱印拝受を趣味にしようというような人は、現時点でそれほど切実な問題を抱えていないだろうと思います。
つまり、御朱印をいただけるということは、すでに御利益をいただいているということです。もし御朱印の御利益を云々するのであれば、まずはそのことに感謝することから始めるのが大切だろうと思います。
参拝することによって運がよくなる
それでは、御朱印をいただくようになって運がよくなったというのはどうでしょうか。
答えは簡単で、御朱印をいただくためには神社やお寺に参拝することになります。それによって運がよくなるのであって、御朱印をいただくことにそれほどの意味はありません。
御朱印はあくまで参拝の証しです。例えば資格試験を受けたとき、勉強をして試験に合格することと合格証書のどちらに意味があるかと考えればわかりやすいでしょう。
神社やお寺に参拝するというのはチューニングというか、いわば神仏の世界に波長を合わせるようなものです。
神仏の恩恵というのは万人に与えられていますが、それをどれだけ受け取れるかは本人次第という面があります。寺社に参詣する(パワースポットといわれるものも同様ですが)ことによって、受け取りやすくなるというわけです。
御朱印拝受に熱心になれば、それだけ寺社に参詣する回数も増えます。その結果、自ずから運がよくなっていきます。だいたいは物事のタイミングがよくなるとか、ちょっとした選択がよい結果になるといった、派手な奇跡が起きるというよりは全般的に運勢が底上げされるという感じです。
御利益というのは、奇跡的な派手な出来事よりも、自然や偶然にしか見えない形で幸運に恵まれるほうが高級とされます。霊の存在によって御利益を説明する人は前者を自分に感心を惹きつけたい天狗や狐の類の仕業、後者を高級霊の働きとします。
御朱印をいただくようになって運がよくなったというのは、当たり前といえば当たり前の話なのです。変な宗教団体に所属するより、よほど御利益があることは間違いありません。
ただし、それは御朱印をいただいたことによってではなく、参拝することによってです。
そういう意味で、よく参拝せずに御朱印を受ける人について「けしからん」という文脈で取り上げているのをよく見かけますが、私からすれば「もったいないことをするなあ」という感じです。参拝して得することはあっても損することは何一つなく、参拝せずに損することはあっても得することはまったくないわけですから。
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