四国3番 金泉寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国3番 亀光山 釈迦院 金泉寺
阿波国板野郡大寺村(徳島県板野郡板野町大寺)

金泉寺の納経印

善通寺から始まった太郎助の四国第4日目の行程は金泉寺まで。順調なペースで進んでいます。

古くは広大な境内を誇ったと伝えられ、大寺村の名も金泉寺に由来するとされます。江戸時代の初めまで、板野郡は板東郡と板西郡に分かれていましたが、寂本の『四国徧礼霊場記』には、金泉寺の堂の扉の板をもって東西に分けるので板東・板西と呼ぶと書かれています。

寺伝によれば、天平年間(729~49)聖武天皇の勅願により行基菩薩によって開創されました。当時は金光明寺と号し、本尊は釈迦如来、脇侍が阿弥陀如来と薬師如来の三尊仏を祀っていたと伝えられます。

弘仁年間(810~24)弘法大師が当地を訪れたとき、日照りに苦しむ里人たちのために井戸を掘りました。霊水の湧き出すこの井戸は長寿をもたらす黄金井と呼ばれ、寺の名も金泉寺と改められました。

亀山天皇が深く帰依し、京都の三十三間堂に倣った堂を建て、1千体の千手観音像を祀ったと伝えられます。また、経蔵を建立して学僧の育成に当てました。寺の背後の山を亀山と名付け、亀光山の山号を賜ったといいます。

しかし、壮大な規模を誇った金泉寺も長曽我部の兵火で焼失、現在の伽藍はその後の再建によるものです。

金泉寺の納経

四国3番金泉寺の納経印

『順拝帳』を見ると、墨書は右から順に

「奉納経」
「本尊釈迦如来」
「阿州亀光山」「金泉寺」
「酉三月十三日」

三つの朱印は天保11年の納経帳にあるものと同じようです。中央の印は右から「東方教主」「■■薄地」「西方化主」、ただし上下が反対になっています。右上の印は「四国第三番」、左下は判読できません。

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金泉寺の概要

亀光山 釈迦院 金泉寺
現名称:亀光山 釈迦院 金泉寺
御本尊:釈迦如来
創建年代:天平年間(729~49)
所在地:阿波国板野郡大寺村(徳島県板野郡板野町大寺)
宗派等:高野山真言宗

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