四国87番 長尾寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国87番 補陀落山 観音院 長尾寺
讃岐国寒川郡長尾西村(香川県さぬき市長尾西)

長尾寺の納経印

海岸にある志度寺から長尾寺までは内陸に向かって約7km。のどかな道のりです。

開基については聖徳太子とも行基菩薩とも伝えられているようです。寂本の『四国徧礼霊場記』は聖徳太子としています。境内から奈良時代の古瓦が出土しており、古くから栄えた寺院であることは間違いないようです。

寺伝によれば、天平11年(739)行基菩薩が霊夢を感得して、楊柳で聖観音像を刻み、同卯を建立して安置したといいます。大同年間(806~10)弘法大師が年頭七夜の護摩の秘法を修し、入唐求法の成功を祈願しました。帰朝後、大日経を一石に一字写経して万霊の供養塔を建立し、伽藍を整えました。

戦火で焼失しますが、慶長年間(1596~1615)生駒氏によって再興、長尾観音寺と呼ばれるようになりました。天和元年(1681)高松藩主・松平頼常が堂塔を寄進、同3年(1683)には讃岐七観音の随一とするとともに、真言宗から天台宗に改宗させました。元禄2年(1689)には殺生禁断の制札を賜り、同6年(1693)には寺領5石を受けるとともに、観音院長尾寺と改称しています。

源義経と別れた静御前が当寺で得度・剃髪したという伝承があり、その髪を納めた剃髪塚が境内にあります。

長尾寺の納経

長尾寺の納経印

『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に

「奉納経」
「本尊聖観世音大士」
「讃州」「補陀洛山」「長尾寺」
「酉三月十二日」

「大士」は「菩薩」と同じ。サンスクリット語の「マハーサットヴァ(偉大な衆生)」の意訳で、音訳すると「摩訶薩」。因みに「菩薩」は「ボディーサットヴァ(悟りを求める衆生)」で、「菩薩摩訶薩」と並べて使われることが多いようです。

朱印は中央上が宝珠に聖観世音菩薩の種字「サ」、右上が「第八十七番」。左下の印はよくわかりません。

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長尾寺の概要

補陀落山 観音院 長尾寺(ながおじ)
現名称:補陀落山 観音院 長尾寺
御本尊:聖観世音菩薩
創建年代:天平11年(739)
開山:行基菩薩(一説に聖徳太子)
所在地:讃岐国寒川郡長尾西村(香川県さぬき市長尾西)
宗派等:天台宗(別格本山)
http://nagaoji.com/

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