藤森神社

京都市伏見区深草鳥居崎町609 [Mapion|googlemap]

藤森神社

藤森神社(ふじのもり じんじゃ)
正式名称:藤森神社
旧称:藤森天王社
御祭神:素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰、舎人親王、天武天皇、早良親王、伊豫親王、井上内親王
創建年代: 不詳/伝・神宮皇后摂政3年(203)
例祭:5月5日(藤森祭)
社格等:旧府社
http://www.fujinomorijinjya.or.jp/

【御由緒】
深草の地に祀られていた三つの神社を合わせ祀って現在の藤森神社が成立したと伝えられ、本殿中央(中座)に素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰、東殿(東座)には藤尾社の舎人親王と天武天皇、西殿(西座)に塚本社の早良親王、伊豫親王、井上内親王を祀ります。

社伝によれば、神功皇后が三韓征伐より凱旋の後、深草の里・藤森の地を選んで纛旗(とうき)を立て、武具を納めて塚を作り、神々を祀ったことに始まります。社殿の東にある旗塚がその跡であるとされます。

延暦13年(794)桓武天皇より弓馬政所の称を賜り、遷都奉幣の儀式が行われました。

東殿に祀られる舎人親王と天武天皇は、天平宝字3年(759)深草の里・藤尾の地(現在の伏見稲荷大社の境内)に奉斎され、藤尾社と称しました。舎人親王は天武天皇の皇子で、日本書紀の編纂に当たるなど文武に優れ、没後、崇道尽敬天皇の追号を贈られました。

皇室・藤原氏が深く崇敬し、貞観2年(860)藤原良房が清和天皇を迎え、勅を奉じて「深草貞観の祭」を執り行ったのが5月5日の藤森祭の始まりと伝えられています。藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭ともいわれます。

永享10年(1438)御花園天皇の勅により、足利義教が稲荷社を稲荷山上から麓の藤尾の地に遷しました。これに伴って藤尾社は藤森に遷座、東殿に祀られることになりました。

今でも伏見稲荷の境内には末社の藤尾社があります。5月の例祭・藤森祭では藤森神社の神輿が伏見稲荷の藤尾社に渡御するのですが、その際、藤森側の人々が「土地返しや、土地返しや」と声をかけ、伏見稲荷側が「神さん、今お留守」と返すそうです。

また、西殿に祀られる塚本社の早良親王は桓武天皇の弟で皇太子となっていましたが、藤原種継暗殺事件に連座して廃され、淡路に流される途中で憤死しました。延暦19年(800)その御霊を鎮めるために崇道天皇の追号を贈られ、塚本の地(現・東山区本町16丁目)に祀られました。さらに天長3年(826)には伊豫親王と井上内親王の御霊を合祀しました。

延応元年(1239)東福寺の建立に伴い、小天皇の地(現・深草西出町)に遷されましたが、応仁の乱で焼失。藤森に遷座し、西殿に祀られました。

江戸時代には幕府より社領200石を寄進されました。

現在の本殿は正徳2年(1712)中御門天皇より宮中の内侍所を賜ったものと伝えられます。

藤森神社の御朱印

御朱印は社務所にて。

藤森神社の御朱印

藤森神社の御朱印。墨書は「藤森大神」。上の朱印は上り藤に一文字の神紋、下は「藤森神社」。

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藤森神社の参拝記

平成26年7月、畏友・導師飼主と藤森神社に参拝しました。藤森神社は深草の産土神で、日本書紀の編纂を主宰した舎人親王をお祀りすることから学問の神として信仰を集めてきました。菖蒲の節句発祥の神社、また近年は勝運と馬の神様としても知られています。

京阪電鉄墨染駅で下車、北に向かって最初の信号を右折すると、すぐに藤森神社の参道の入り口に着きます。

藤森神社鳥居

藤森神社の鳥居。参道前の通りは大津街道で、西国大名が参勤交代の際にここを通っていたのですが、この鳥居に後水尾天皇御宸筆の勅額が掲げられていたため、大名といえども籠から降りて拝礼しなければなりませんでした。幕末、そのような悠長なことは時代に即さないということで、新選組の近藤勇が外させたそうです。

5月5日の藤森祭では、この参道で「駈馬神事」が行われます。

藤森神社絵馬舎

絵馬舎。元の拝殿ですが、正徳2年(1712)中御門天皇より現在の拝殿と本殿を賜ったのに伴い、絵馬舎として用いられることになったそうです。競馬関係の絵馬があったりしてなかなか興味深いのですが、参拝時にはランチュウ(金魚)の品評会をしていました。

向かいには宝物殿があって、武具や藤森祭に関する資料のほか、日本・世界各地で収集したという馬の置物や郷土玩具などのコレクションなども展示されています。

藤森神社摂社・大将軍社

摂社・大将軍社。御祭神は磐長姫命。桓武天皇が平安京に遷都された際、王城守護のため都の四方に祀られた大将軍社のうちの南の社になります。社殿は永享10年(1438)足利義教が建立したもので、貴重な応仁の乱以前の建築だそうです。国の重要文化財。

藤森神社摂社・八幡宮

摂社・八幡宮社。御祭神は応神天皇。同じく永享10年(1438)足利義教による建立で、国の重要文化財。

藤森神社旗塚

旗塚。神功皇后がここに纛旗(とうき、陣中で将軍の標識として立てた大旗)を立て、武具を納めて塚を作り、神々を祀ったのが藤森神社の創祀とされます。

ところで、藤森神社は式内社・真幡寸神社の旧社地という伝承があります。藤森神社東殿に祀られている藤尾社(舎人親王、天武天皇)が現在の伏見稲荷の社地から遷座してきたことに伴い、真幡寸神社は現在の城南宮の地に遷ったとされていて、藤森神社は真幡寸神社であることを主張していません。しかし、旗塚にまつわる創建伝承は真幡寸神社に関わるものと考えるのが妥当なように思うのですが、どうなんでしょうか。因みに城南宮にも神功皇后が三韓征伐の後に御旗を納めたという創建伝承があります。

藤森神社、金太郎像

金太郎像。菖蒲の節句発祥の地であることを記念して奉納されたそうです。その他にも舎人親王崇敬碑や神鎧像、七福神、不二の水など見所がたくさんあります。

藤森神社拝殿

拝殿。正徳2年(1712)中御門天皇より賜ったもので、中央に通路(土間)がある割拝殿です。

藤森神社本殿

本殿。同じく正徳2年(1712)中御門天皇より賜ったもので、元は宮中の内侍所(賢所。三種の神器の一・八咫の鏡を安置した建物)でした。現存する内侍所では最古のものだそうです。

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