古今御朱印覚え書

御朱印に関する考察、寺社参拝、拝受した御朱印、昔の御朱印・納経帳などについてのメモ

御府内八十八ヶ所の回り方(下)

      2015/07/02

御府内八十八ヶ所の札所番号にはどういう意味があるか?

御府内八十八ヶ所の回り方(上)

前回、御府内八十八ヶ所は開創当初から順番通りには回れない設定になっていたことを説明しました。それでは、御府内八十八ヶ所の札所番号にはどういう意味があるのでしょうか?

御府内八十八ヶ所納経帳

普通、札所番号というのは巡拝の順番につけられるものです。西国三十三所や四国八十八ヶ所などの古い霊場は、まず三十三ヶ所、八十八ヶ所の札所が成立し、それらを効率的に巡拝するコースが定着することによって、札所番号が固定されました。江戸時代以降に成立したような比較的新しい霊場は、開創当初から標準的な巡拝コースと札所番号が設定されているのが一般的です。

では、そもそも開創当初から順番通りに回るようには設定されていない御府内八十八ヶ所の札所番号にはどういう意味があるのでしょうか?

御府内八十八ヶ所は四国八十八ヶ所の写し霊場です。写し霊場というのは、四国八十八ヶ所を巡拝したいけれども実現が難しい人々のために開設されるものですが、その小規模なものとして「お砂踏み」があります。各札所の「お砂」と本尊を安置し、札所に見立てた「お砂」を踏みながらお参りすることによって、四国を巡拝したのと同じ功徳をいただくというものです。

写し霊場も基本的に同じで、いわば大規模な「お砂踏み」と考えてよいでしょう。四国の札所から持ち帰ったお砂を納め、さらに多くの場合は大師像(あるいは御本尊)を奉安して、各札所の写しとします。

76番金剛院のお砂踏み

76番金剛院のお砂踏み

つまり、御府内八十八ヶ所の各札所の番号は巡拝の順序を示すものではなく、対応する四国の札所を示すものです。例えば1番高野寺(現・高野山東京別院)には四国1番霊山寺の「お砂」が納められ、2番二尊院(現在の札所は東福寺)には四国2番極楽寺、3番多聞院は四国3番金泉寺の「お砂」が納められたということです。

多くの写し霊場では、各札所の番号と参拝順路が一致するように設定されているので、参拝の順番に拠っているように見えます。ところが、御府内八十八ヶ所の場合は、順拝コースを考慮せずに写し札所が設けられているので、逆に本来の写し札所の意味がわかりやすくなっているわけです。

なぜ、札所番号とコースを一致させるような設定にしなかったのかはよくわかりませんが、御府内八十八ヶ所が四国の写し霊場でもかなり早い時期の開創で、先行する参考事例が乏しく、試行錯誤的に進められたのかもしれません。たぶん、最初から88ヶ寺が決まっていたわけではないでしょう。また、数多くの寺院がひしめいていた江戸の町という立地条件も影響していたかもしれません。

四国から「お砂」を持ち帰るといっても、交通・輸送手段が発達していない時代ですから、何度かに分けていたと考えられます。それに合わせて賛同する寺院を募っていったと考えるのが自然でしょう。

ただ、1番と88番に関してのみは、芝二本榎の高野寺(高野山・学侶方の触頭、現・高野山東京別院長寿寺)と白金台町の高野寺(高野山・行人方の触頭、現・文殊院)という、いわば高野山の江戸出張所を充てているので、この2ヶ寺だけは順番を意識して設定したものと思われます。

88番高野寺(現・文殊院)

88番 高野寺(現・文殊院)
『御府内八十八ヶ所道しるべ』国立国会図書館蔵

なので、発願の1番と結願の88番にこだわるのもいいかとは思いますが(私はそうしました)、これも絶対というわけではありません。例えば『御府内八十八ヶ所道しるべ』は3冊から成りますが、1番高野寺は第2冊の冒頭に、88番高野寺は第1冊の末尾に置かれています。因みに第1冊の冒頭は3番多門院、第3冊の末尾は12番宝仙寺で、徹頭徹尾エリア順です。

それはともかく、肝心なことは、御府内八十八ヶ所の札所番号は、各札所にお砂を納めた元の四国の札所の番号であって、参拝順路を示すものではないということです。

88番文殊院の納経印

よって、御府内八十八ヶ所については、難易度の高い巡拝方法として札所番号通りの参拝にチャレンジするのは面白いかもしれませんが、通常の参拝において札所番号を考慮する必要はまったくないと断言できるわけです。

そもそも霊場の巡拝に当たって札所番号にこだわる必要はない

以上は、御府内八十八ヶ所に関して、その特殊事情から札所番号通りに回る必要はないということを論じてきたわけですが、本来は各地の霊場一般についても札所番号通りに参拝する必要はありません。なぜなら、大峰山の奥駈のような特殊な霊場を除き、一般人が巡拝するような霊場においては、参拝の順番に特別な意味がないからです。

先にも書きましたが、そもそも西国三十三所や四国八十八ヶ所も最初から札所番号があったわけではなく、先に三十三ヶ所・八十八ヶ所の霊場が成立して、その後、効率的に回ることのできるコースが定着することで、札所番号が決まっていきました。なので、古い時代には札所番号で各寺院を表すということもなかったようです。

西国8番長谷寺の納経印

文化10年(1813)西国8番 長谷寺

現在、西国三十三所は那智山青岸渡寺を1番としますが、古くは8番長谷寺から参拝する例が多かったようです。那智から回るようになったのは、熊野信仰の隆盛や東国からの巡礼の増加によるようです。

四国八十八ヶ所の札所番号は、真念法師の『四国辺路道指南』によりますが、真念自身はこの順番を絶対的なものとは考えていませんでした。霊山寺を1番とするのは弘法大師が霊山寺から巡錫したという伝承に基づくとしながら、17番井戸寺から打ち始めたほうが回りやすいと勧めています。また、丸亀に渡って78番道場寺(現・郷照寺)から巡拝するコースも紹介しています。

四国78番道場寺(現・郷照寺)の納経印

天保11年(1840)四国78番 道場寺

さらに、61番から63番について、かつては一ノ宮(宝寿寺)→香園寺→横峰寺の順に回っていたが、一ノ宮が白坪から新屋敷村に移転したことにより横峰寺→香園寺→一ノ宮の順で回るようになったということが記されています。札所が移転して効率的なコースが変われば、参拝の順番も変更するのが当然と考えていたことがわかります。

同じく真念法師は『四国徧礼功徳記』で、88ヶ所を回るのが難しければ、2、3ヶ所、あるいは10ヶ所、20ヶ所、1国1郡を巡拝するのでも功徳があると述べています。

手近なところからでも参拝することに価値があるのであって、なるべく気軽に始めてもらえるようにするのが札所寺院や先達、同好の士の役目でしょう。それを、順番通りに回らなければならないなどとハードルを上げて参拝者を萎縮させ、入り口を狭くするなど本末転倒としかいえません。

まあ、四国八十八ヶ所を巡拝すれば、「遍路ころがし」などの難所があります。しかし、御府内八十八ヶ所には地形的な難所がないので、住職が参拝者の修行のために、自ら人間的な難所になってくれているのだと思えばよいのかもしれません。

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