加納天満宮

岐阜県岐阜市加納天神町4-1 [Mapion|googlemap]

鳥居

加納天満宮(かのうてんまんぐう)
正式名称:加納天満宮
旧称:天満宮 天満神社
御祭神:菅原道真
創建年代:文安2年(1445)
例祭:4月4 日・5日
行事:加納天神祭(10月第4土・日曜日)
社格等:旧県社

【御由緒】
文安2年(1445)土岐氏の重臣で後に美濃の守護代となった斎藤利永が沓井城(前期加納城)を築いた際、守護神として天満宮を祀ったことに始まります。あるいは、それより100年以上前から吉田郷(上加納)に祀られていたともいいます。

天文年間(1532~55)沓井城は廃城となりますが、天満宮は土地の人々によって大切に祀られました。

慶長6年(1601)徳川家康は岐阜城を破却し、沓井城の跡に天下普請によって加納城(後期加納城)を築かせました。これに伴って天満宮は広江川(清水川)の畔の現社地に遷座、加納城鎮護の神とされました。

加納城の初代城主となった奥平信昌と正室・亀姫(徳川家康の長女)は当社を深く崇敬し、その後の歴代藩主からも崇敬されました。

元は平地でしたが、宝暦3年(1753)から5年(1755)にかけて築地が築かれました。

明治24年(1891)の濃尾地震や昭和20年(1945)の戦災で大きな被害を受け、文化7年(1810)建造の拝殿のみが現存しています。現在の本殿は平成15年(2003)に新築されたものです。

4月に行われる例大祭には9基の山車が曳き出されて大変賑やかでしたが、昭和20年(1945)の空襲で8基が焼失。残る鞍馬車も例祭に飾り山として据えられるだけでしたが、平成15年より10月に加納天神祭として曳き廻しが復活しました。

加納天満宮の御朱印

御朱印は社務所にていただきました。

加納天満宮の御朱印

中央の朱印は「加納天満宮印」、右上は梅鉢の神紋。

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加納天満宮の参拝記

年末の帰省の途中に途中下車をして、岐阜・大垣の神社を参拝しました。とはいえ、時間が限られていたため、岐阜では駅から近くて未参拝だった加納天満宮へ。

関ヶ原の合戦の後に岐阜城は破却され、中山道沿いの加納に加納城が築かれました。東海道線の岐阜駅は岐阜の町より加納に近く、加納天満宮までは南口から徒歩で5分ほどの距離です。

手水舎

手水舎。

拝殿

文化7年(1810)建立の拝殿。濃尾地震や第二次大戦の戦火を免れた、貴重な江戸時代の建築です。

社殿

拝殿の後ろに築地があり、その上に本殿が建っています。本殿とはいっても拝殿に当たる部分と流造の本殿部分を備えた権現造り。

本殿

本殿の本殿部分(?)。

撫で牛

撫で牛。

福寿稲荷神社・津島神社

本殿のある築地の周囲に多数の境内社がありますが、『平成「祭」データ』に記載されているのは三社のみ。そのうちの福寿稲荷神社(上)と津島神社(下)。

一心龍王神社

もう一社は一心龍王神社

境内社

その他にも多数の境内社があります。

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