魚住住吉神社

明石市魚住町中尾1031(Mapiongooglemap

魚住住吉神社参道

年末の山陽電鉄沿線御朱印拝受、林神社の次は魚住庄総鎮守・住吉神社に参拝しました。魚住は、平安時代の『住吉大社神代記』に「明石郡魚次浜(なすきのはま)」、13世紀のものと推定される『住吉神領年紀』に「魚住庄」とあり、住吉大社の神領でした。

山陽魚住駅から南へ歩いて約5分。社殿・参道が南の海に向かっているため、境内へは本殿の裏側から入るようになります。

魚住住吉神社境内社

境内に入ると、御神木の祓除の藤や境内社があります。手前から高良社、稲荷社、神明社。他に八幡社、大海社、厳島社、粟島社、天満社、竈神社などがあります。

魚住住吉神社本殿(背面より)

さらに進むと本殿4棟が並んでいます。第一本殿・底筒男命、第二本殿・中筒男命、第三本殿・表筒男命、第四本殿・息長足姫命(神功皇后)。

魚住住吉神社本殿

軒唐破風付きの一間社春日造のようです。

魚住住吉神社拝殿

拝殿。他の建物が風格のある木造建築であるだけに、鉄筋コンクリート造の拝殿は少々興醒めで残念です。

魚住住吉神社、手水舎の兎

手水舎の兎。雄略天皇8年(464)4月(卯月)初卯の日に創建されたことに因みます。本社である摂津の住吉大社も卯年(神功皇后摂政11年/211年)卯月卯の日の創建に因んで兎を神使としますが、雄略天皇8年は辰年。ふと思ったのですが、本当は雄略天皇7年(卯年)とすべきところを、計算違いで8年にしてしまったとかいうことはないでしょうか。昔は皇紀も西暦も使わなかったので、計算も難しかったでしょうし。

魚住住吉神社能舞台

能舞台。寛永7年(1630)明石藩主・小笠原忠真が建立。本当は拝殿側が正面なので、裏からの撮影になります。能舞台として使うときは、こちら側に鏡板を入れるようです。妙な角度での写真になりました。拝殿側からも写真を撮ろうと思っていたのですが、失念していました。いや、能舞台だと認識していたらちゃんと撮っていたのですが、てっきり舞殿だとばかり思っていたもので。

渡り廊下のある舞殿というのも変わっているなあと思ったのですが、橋掛りだったようです。神門-能舞台-拝殿-本殿が一直線に並ぶというのが、東播磨の典型的な神社の様式なのだそうです。

魚住住吉神社楼門

楼門。慶安元年(16484)の建造で、明石市指定文化財。見事なものです。

魚住住吉神社、錦ヶ浦

参道の先は瀬戸内海。周囲は美しい松林。神功皇后が当地に上陸した際、着衣を松の枝に掛けて干されたところ、風にたなびいて錦のように美しく見えたところから、当地を「錦ヶ浦」と名付けられたそうです。

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魚住住吉神社の御朱印

こちらも宮司さん一家総出で正月準備をされていましたが、御朱印をお願いしたところ、快く対応していただけました。声をかけるタイミングを見計らっているうちに、拝殿側から能舞台の写真を撮るのを失念してしまったのですが。

魚住住吉神社の御朱印

魚住住吉神社の御朱印。中央上の朱印は三つ巴の神紋。下は鏡を象っているのでしょうか、中に三つ巴の神紋と「住吉神社」。左上は「明石魚住鎮座」。

魚住住吉神社の概要

魚住住吉神社(うおずみ すみよし じんじゃ)
正式名称:住吉神社
御祭神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足姫命
創建年代:雄略天皇8年(464)
鎮座地:明石市魚住町中尾1031
社格等:旧県社

【御由緒】
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐の際、播磨灘で暴風に遭い、魚住の浜に上陸しました。神籬を立てて住吉大神(底筒男神・中筒男神・表筒男神)に祈願されたところ、たちまち風波が静まり、無事に進むことができたとされます。

摂津の住吉大社に祀られた住吉大神は「吾が居住(すま)わんと欲する処は、播磨の国に渡り住(すま)わん」と託宣を下しました。そこで大藤を切って海に浮かべたところ、「この藤の枝の流れ着く処に、我を鎮祀れ」と告げられたので、藤の流れ着いた魚次浜(なすきのはま)に住吉大神を祀りました。これが魚住の住吉神社の創祀で、雄略天皇8年(464)4月初卯の日のこととされます。

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