白鳥大神宮〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
白鳥大神宮
讃岐国大内郡松原村(香川県東かがわ市松原)

白鳥大神宮の納経印

88番大窪寺から1番霊山寺に向かうルートは3つあり、一つは日開谷川沿いに下って10番切幡寺に出るルート、二つ目は白鳥神社から大坂峠を越えて阿波に入り、讃岐街道を3番金泉寺に向かうルート、三つ目は大坂峠を越えた後、さらに夘辰峠を越えて大麻比古神社(1番霊山寺の奥之院)に抜けるルートです。太郎助は白鳥神社(当時は白鳥宮または白鳥大神宮)に参拝しており、二つ目か三つ目のルートを使ったようです。

社伝によれば、伊勢国能褒野において亡くなった日本武尊の神霊は、白鳥と化して大和国琴弾原、河内国古市の邑に降り立った後、さらに西に向かって飛び立ち、讃岐国大内郡鶴内の里に降りたといいます。

成務天皇(日本武尊の弟)は、御兄弟の神櫛皇子を日本武尊の御子・武殻王に従わせて讃岐国造に封じ、この地に神陵を造らせました。仲哀天皇(日本武尊の御子)の御代には神籬を立て、封子を寄進しました。さらに仁徳天皇の御代、神祠が建てられたと伝えられます。

源義経は屋島の合戦に際して戦勝を祈願して霊験を得たといい、古くから武門の神として崇敬されました。天正年間(1573~92)長曽我部の兵火により焼失しますが、慶長10年(1605)高松藩主・生駒一正の援助により、僧・増乗が再興しています。

生駒氏の改易後、高松藩主となった松平頼重は特に白鳥神社に対する崇敬篤く、寛文4年(1664)社殿を修築するとともに境内を整備しました。さらに社領200石を寄進した上、幕府に申請してこれを朱印地としました。

その後も歴代藩主によって手厚く保護され、西の金比羅と並ぶ繁栄を誇ったといいます。弘法大師ゆかりの霊場というわけではありませんし、松平頼重により神仏分離が行われて唯一神道になっていましたが、88番から1番に向かう遍路道沿いということもあり、多くのお遍路さんが参拝し、番外札所のような扱いになっていたようです。

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白鳥大神宮の納経

白鳥大神宮(白鳥神社)の納経印

『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に

「廣前」
「讃州大内郡」
「白鳥大神宮」
「当番社家」
「酉三月十三日」

印は右下の黒印のみですが、判読できません。

白鳥大神宮の概要

白鳥大神宮(しろとり だいじんぐう)
現名称:白鳥神社
御祭神:日本武尊 /配祀:両道入姫命、橘姫命
創建年代:政務天皇の御代(131~190)
所在地:讃岐国大内郡松原村(香川県東かがわ市松原)
社格等:旧県社
http://www.shirotori-jinja.jp/

文政8年『神社仏閣順拝帳』
大窪寺 → 白鳥神社 → 霊山寺
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