四国72番 曼荼羅寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国72番 我拝師山 延命院 曼荼羅寺
讃岐国多度郡吉原村(香川県善通寺市吉原町)

四国72番曼荼羅寺の納経

いよいよ現在の善通寺市まで戻ってきました。太郎助が四国巡拝のスタート地点とした善通寺まで、もう一息です。

寺伝によれば、弘法大師の一族である佐伯氏が氏寺として建立した世坂寺(よさかでら)を起源とします。創建年代は推古天皇4年(596)と伝えられ、四国八十八ヶ所ではもっとも古い寺です。

大同2年(807)唐より帰朝した弘法大師は、母・玉依御前の菩提を弔うため、唐の青龍寺を模して伽藍を建立し、大日如来を本尊としました。唐より持ち帰った両界曼荼羅を納め、寺号を曼荼羅寺と改めました。

平安時代には東寺の末寺とされ、善通寺に派遣された別当によって管理されていましたが、鎌倉時代の寛喜元年(1229)随心院を本寺とするようになりました。

平安時代の終わり、弘法大師誕生の地を訪れた西行法師は「曼荼羅寺の行道所(我拝師山の捨身ヶ嶽禅定)」に登っており、その様子が『山家集』に記されています。近くの水茎の岡は西行が庵を結んだところと伝えられ、曼荼羅寺の境内には西行が昼寝をしたという昼寝石が残っています。

また、一遍上人は正応2年(1289)善通寺と曼荼羅寺に参拝しました。

境内には弘法大師御手植えという不老松がありました。高さ4m、南北17m、東西18mの菅笠を地面に伏せたような形の松でした。平成元年に参拝した時にはまだ健在で、曼荼羅寺というのその松の印象が強かったのですが、残念ながら平成14年(2002)枯死したそうです。

太郎助から残っていた風景が一つ失われたということでしょうか。

なお、73番札所出釈迦寺は、かつては曼荼羅寺の奥の院だったといわれています。

曼荼羅寺の納経

四国72番曼荼羅寺の納経

順拝帳を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に

「奉納経」
「本尊大日如来」
「我拝師山」
「西讃」「曼荼羅寺」
「酉四月八日」

中央に朱印(宝印)はありません。右上の印は「四国七十二番」。左下は梵字で「マン・ダ・ラ・ジ」のようです。現在使われている寺印より洒落ているというか、恰好いいんじゃないでしょうか。復活してもらえればなあと思います。

なお、中央下と左上にある印は、弥谷寺の印が写ったものです。

曼荼羅図典曼荼羅図典

曼荼羅寺の概要

我拝師山 延命院 曼荼羅寺(まんだらじ)
現名称:我拝師山 延命院 曼荼羅寺
御本尊:大日如来
創建年代:推古天皇4年(596)
開基:伝・行基菩薩
所在地:讃岐国多度郡吉原村(香川県善通寺市吉原町)
宗派等:真言宗善通寺派
http://www.mandaraji.jp/

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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