四国71番 弥谷寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国71番 剣御山 千手院 弥谷寺
讃岐国三野郡大見村(香川県三豊市三野町大見)

四国71番弥谷寺の納経

71番弥谷寺は弥谷山の中腹にあります。弥谷山は古くより霊山(仏山)として信仰を集め、日本三大霊場(恐山・臼杵の石仏・弥谷山)の一つに数えられたとも言われます。山内には多数の石仏や磨崖仏が点在し、霊山の趣を漂わせています。

寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が光明皇后書写の『華厳経』を奉納して創建しました。当時は蓮華山八国寺と称したそうです。

天応元年(781)から延暦5年(786)、少年時代の弘法大師はこの寺の獅子窟(獅子の岩屋、大師堂奥の岩窟)で学問に励んだと伝えられます。

大同2年(807)唐より帰朝した大師は再びこの山に登り、獅子の岩屋で護摩を修しました。満願の日、天より五柄の剣が降り、蔵王権現より託宣がありました。そこで五柄の剣と恵果阿闍梨から授かった金銅の五鈷鈴を納め、千手観音を安置して伽藍を再興し、剣五山弥谷寺と改めたと伝えられます。

なお「剣五山」は「剣御山」とも書き、現在の納経でも寺印は「讃岐圀劒御山彌谷寺」となっています。

中世は天霧城に拠る香川氏の菩提寺となりますが、天正年間(1573~92)兵火で焼失。慶長5年(1600)生駒一正により再興されますが、享保5年(1720)再度焼失。その後、丸亀藩主・京極高規によって再建されました。

弥谷寺の納経

四国71番弥谷寺の納経

順拝帳を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に

「奉納経」
「本尊千手観音」
「讃州剣御山」「弥谷寺」
「四月八日」

中央に朱印(宝印)はありません。右上の印は「四国七十一番」、左下は「弥谷寺 満願窟」。

「満願窟」は獅子の岩屋のことだろうと思います。現在、弥谷寺は獅子の岩屋と一体となった大師堂に納経所がありますが、当時も同じような様子だったのかもしれません。

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弥谷寺の概要

剣御山 千手院 弥谷寺(いやだにじ)
現名称:剣五山 千手院 弥谷寺
御本尊:千手観世音菩薩
創建年代:天平年間(729~49)
開基:行基菩薩
所在地:讃岐国三野郡大見村(香川県三豊市三野町大見)
宗派等:真言宗善通寺派大本山
http://www.geocities.jp/ryogot1010/

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