四国70番 本山寺〈文政8年〉

四国70番本山寺の納経

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国70番 七宝山 持宝院 本山寺
讃岐国三野郡寺家村(香川県三豊市豊中町本山甲)

四国70番本山寺の納経

70番本山寺には四国八十八ヶ所でも4ヶ寺にしかない五重塔があります。長曽我部の兵火にも焼け残った大同4年(809)建立の塔でしたが、老朽化のため、明治43年(1910)現在の塔が再建されました。

寺伝によれば、大同2年(807)平城天皇の勅願により弘法大師が創建、一夜にして本堂を建立したという伝説が残ります。当時は長福寺と称しました。本尊の馬頭観音と脇侍の阿弥陀如来・薬師如来は大師が一刀三礼して刻んだものと伝えられます。

最盛期には七堂伽藍を整え、塔頭20余を数えたと伝えられます。

天正年間(1573~93)長曽我部の兵火にかかりましたが、本堂や仁王門、五重塔は焼失を免れました。これについては「太刀受けの弥陀」の伝承があります。

長曽我部の軍勢が寺へ侵入したとき、それを阻止しようとした住職を長曽我部の兵士が切りつけました。そして本堂に入ったところ、脇侍の阿弥陀如来が肩から胸にかけて血を流していたため、恐れた兵士たちが寺から退いたと伝えられます。

その後、領主の生駒一正から寺領の寄進を受け、寺運は再び隆盛へ向かいました。享保年間(1716~36)寺号を「本山寺」に改めました(享保11年の納経帳では本山寺となっています)。

本堂は承安2年(1300)年の建立で国宝。仁王門も鎌倉時代後期の建築です。その他、室町時代中期の大日堂、天文16年(1547)の鎮守堂、宝暦10年(1759)の十王堂、寛政7年(1795)の大師堂など、太郎助が目にしたであろう多くの堂宇が今も残っています。

目次

本山寺の納経

四国70番本山寺の納経

順拝帳を見ると、墨書部分は右から順に

「文政八歳酉四月八日」
「奉納」「本尊馬頭観世音」
「西讃七宝山本山寺」

中央の宝院は蓮台上に馬頭観音の種字「ウン」、薬師如来の種字「ベイ」、阿弥陀如来の種字「キリーク」で、現在用いられているものと同じ構成です。右上の印は「四国第七十番霊場」、左下は「本山寺」。

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本山寺の概要

七宝山 持宝院 本山寺(もとやまじ)
現名称:七宝山 持宝院 本山寺
御本尊:馬頭観世音菩薩
創建年代:大同2年(807)
開基:弘法大師
所在地:讃岐国三野郡寺家村(香川県三豊市豊中町本山甲)
宗派等:高野山真言宗(当時は大覚寺末か)

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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