四国65番 三角寺〈文政8年〉

四国65番三角寺の納経

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国65番 由霊山 慈尊院 三角寺
伊豫国宇摩郡三角寺村(愛媛県四国中央市金田町三角寺甲)

四国65番三角寺の納経

伊豫国最後の札所・65番三角寺への参拝は四国28日目の4月7日。伊豫国内の霊場を10日間で参拝し終えています。

三角寺の山号は由霊山(ゆれいざん)ですが、寂本の『四国徧礼霊場記』には「庾嶺山(ゆれいざん)」とあり、江戸時代の納経帳には「幽霊山」と記されているものもあります。

寺伝によれば、天平年間(729~49)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が弥勒の浄土を模して開いたとされます。院号の「慈尊」とは弥勒仏の別名です。

弘仁6年(815)弘法大師が来錫し、本尊の十一面観音と不動明王の像を刻んで安置。そして、国家安泰と万民豊楽のために三角の護摩壇を築いて21日間の降伏護摩の秘法を修しました。境内の「三角の池」の中の島がその跡と伝えられ、三角寺の寺号もこれにちなむとされます。

嵯峨天皇が深く帰依し、寺領300町を賜りました。七堂伽藍を備え、最盛期には12坊を数えたといいますが、天正9年(1581)長曽我部の兵火により焼失しました。

太郎助の参拝の30年前、寛政7年(1795)には小林一茶が参拝し、「是でこそ登かひあり山桜」という句を残しています。

御本尊は安産・子安の観音として信仰を集めています。地元では妊婦が庫裏(住職の住まい)から杓子をひそかに持ち出し、お産の床の下に敷くと安産になるとされ、無事に出産した後に新しい杓子を持ってお礼参りをするという風習がありました。また、子宝の恵まれない夫婦が寺で杓子を授かり、仲良く食事をすると子宝に恵まれるという信仰があります。

目次

三角寺の納経

四国65番三角寺の納経

『順拝帳』を見ると、墨書は右から順に

「奉納」
「本尊十一面観音」
「いよ 三角寺」
「酉四月七日」

中央の朱印は火炎宝珠に十一面観音の種字「キャ」、不動明王の種字「カーン」、毘沙門天の種字「ベイ」。右上は「四国六十五番」、左下は「慈尊院印」。

なお、三角寺の奥の院は山を越えた仙龍寺。現在は四国別格二十霊場の13番でもあります。太郎助は参拝していませんが、多くの遍路が仙龍寺まで足を延ばしたようで、江戸時代の納経帳では比較的よくみられる番外札所です。

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三角寺の概要

由霊山 慈尊院 三角寺(さんかくじ)
現名称:由霊山 慈尊院 三角寺
御本尊:十一面観世音菩薩
創建年代:天平年間(729~49)
開基:行基菩薩
所在地:伊豫国宇摩郡三角寺村(愛媛県四国中央市金田町三角寺甲)
宗派等:高野山真言宗別格本山

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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