四国55番 大山積大明神・南光坊〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国55番 大山積大明神大積山 金剛院 南光坊
伊豫国越智郡別宮村(愛媛県今治市別宮町)

四国55番南光坊の納経

順拝帳には「大山積大明神」とありますが、大三島に鎮座する伊豫国一宮の大山祇神社(三島本宮)ではなく、別宮村(現在の今治市別宮町)の別宮大山祇神社(別宮/べっく)のことです。納経は別当の南光坊。

『四国辺路道指南』や『四国徧礼霊場記』には「別宮」とあります。

本来、四国55番札所は大三島の本宮でしたが、参拝に不便なことから地御前である別宮が前札所とされました。真念法師の『四国辺路道指南』には「これは三島の宮の前札所なり。三島までは海上七里あり。故にこれより拝む」とあります。

御詠歌には別宮が詠み込まれており、江戸時代の初めには実質的な札所としてほぼ定着していたようです。

それでも熱心な遍路の中にはわざわざ大三島まで参拝した人もおり、江戸時代の納経帳でも「三島本宮」の納経を見かけることがあります。

三島本宮(大山祇神社)の納経安政3年(1856)三島本宮(大山祇神社)の納経。

社伝によれば、和銅5年(712)越智玉澄が大山祇神社より地御前として勧請したことに始まります。以来、一宮・大山祇神社の別宮として歴代の国司・領主の厚い崇敬を受けました。

正治年間(1199~1201)大山祇神社の法楽所24坊のうち南光坊など8坊が別宮に移され、大積山金剛院光明寺と称しました。しかし天正年間(1573~92)長曽我部の兵火により焼失、南光坊のみが再興されました。

明治になって別宮大山祇神社と南光坊は分離され、南光坊が55番札所となっています。

大山積大明神・南光坊の納経

四国55番南光坊の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は右から順に

「奉納」
「日本総鎮守」
「大山積大明神」
「別当南光坊」

中央の宝印はありません。右上の印は滲んで判読しづらいのですが「第五十五番」のようです。左下は「南光之印」。

「日本総鎮守」は大山祇神社の尊称で、大三島の本宮には三蹟の一人・藤原佐理の筆による「日本総鎮守 大山積大明神」の扁額が伝わっています(重要文化財)。また、別宮大山祇神社の鳥居と南光坊の山門には「日本総鎮守 三島地御前」の額が掲げられています。

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大山積大明神・南光坊の概要

大山積大明神(おおやまづみ だいみょうじん)
現名称:別宮大山祇神社
御祭神:大山積大神
創建年代:和銅5年(712)
鎮座地:伊豫国越智郡別宮村(愛媛県今治市別宮町)
社格等:旧県社

大積山 金剛院 光明寺 南光坊(なんこうぼう)
現名称:別宮山 金剛院 南光坊
御本尊:大通智勝佛
創建年代:大宝3年(703)
開山:行基菩薩
所在地:伊豫国越智郡別宮村(愛媛県今治市別宮町)
宗派等:真言宗醍醐派

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