文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国53番 須賀山 正智院 円明寺
伊豫国和気郡和気浜村(愛媛県松山市和気町)
松山近辺の8ヶ寺は1日で回れる行程です。53番円明寺の納経に日付はありませんが、四国24日目の4月3日は番外の札始大師堂から打ち始めていますので、この日のうちに参拝しているものと思われます。
寺伝によれば、天平勝宝元年(749)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が自ら刻んだ阿弥陀三尊を本尊として開創したと伝えられます。創建当初は和気西山にあり(松山市勝山町、現在は円明寺の奥の院がある)、海岸山円明寺と号していました。
その後、弘法大師が四国を巡錫した際、伽藍を再興し、四国霊場の一つに定めたとされます。
以来、寺運は興隆しましたが、たびたびの兵火で荒廃し、寛永10年(1633)地元の豪族・須賀重久によって現在地に移転・再興されました。この功を賞して、仁和寺の覚深法親王より須賀山の山号を賜り、仁和寺の直末とされました。
ですので、現在の円明寺は真言宗智山派ですが、太郎助が参拝した当時は仁和寺の末寺だったと思われます。
円明寺の納経
『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から
「礼拝」
「阿弥陀如来」
「■邦須賀山円明寺」
1行目、「奉納経」など納経に関する文言ではなく、「礼拝」となっています。同じような例として、25番津照寺では「奉拝礼」となっていました。少数でもこういう例があるのは、すでに必ずしも納経(写経の奉納)の実態が伴っていない(納め札を納めるのみの)巡拝者が多かったという傍証ではないかと思います。
3行目の最初が判読しづらいのですが、「同邦」のように見えます。順逆どちらで回っても、前は伊豫国の札所なので、前の札所と同国という意味でしょうか。
中央の朱印は蓮華座上の円に阿弥陀如来の種字「キリーク」。右上は「五十三番」、左下は判読できません。
円明寺の概要
須賀山 正智院 圓明寺(えんみょうじ)
現名称:須賀山 正智院 円明寺
御本尊:阿弥陀如来
創建年代:天平勝宝元年(749)
開山:行基菩薩
所在地:伊豫国和気郡和気浜村(愛媛県松山市和気町)
宗派等:真言宗智山派
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