四国52番 太山寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国52番 瀧雲山 護持院 太山寺
伊豫国和気郡太山寺村(愛媛県松山市太山寺町)

四国52番太山寺の納経

松山の西部、経ヶ森(203m)の中腹にある四国52番太山寺は、真野長者による「一夜建立の御堂」の伝承があります。

真野長者は豊後国で炭焼きをしていましたが、三輪明神のお告げを受けた久我大臣の娘・玉津姫と結ばれ、運が開けて長者となりました。

用明天皇2年(587)真野長者が船で都に向かう途中、高浜(松山市高浜町)の沖で暴風雨に遭いました。そこで日頃信仰していた観世音菩薩に祈ったところ、経ヶ森から光が照らして船を導き、無事に難を逃れることができました。

高浜に上陸した長者が経ヶ森にのぼると、小さな庵に観世音菩薩が祀られていました。長者はこの霊験に感謝し、一堂の建立を発願しました。豊後へ帰ると大工を集め、御堂を建立するための木組みを整えて高浜に渡り、一夜のうちに組み上げたといいます。

天平11年(739)聖武天皇の勅願により行基菩薩が丈六の十一面観世音菩薩を造立して本尊とし、真野長者が見つけた観音像を胎内に納めました。天平勝宝元年(749)孝謙天皇が十一面観音像を奉納、七堂伽藍を整えたと伝えられます。その後も後冷泉・後三条・堀河・鳥羽・崇徳・近衛の6代の天皇が同形の観音像を奉納されました。

天長年間(824~34)弘法大師が巡錫し、法相宗から真言宗に改めたとされます。

現在の本堂は鎌倉時代の嘉元3年(1305)河野氏によって再建されたもので、国宝に指定されています。同じく仁王門も鎌倉時代の建築で、重要文化財です。

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太山寺の納経

四国52番太山寺の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から

「奉納経」
「本尊十一面観世音」
「豫州瀧雲山」
「太山寺」

中央上の朱印は勅願所であることを示す十六菊の御紋と五三の桐。右上は五十二番、左下の印は判読できません。

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太山寺の概要

瀧雲山 護持院 太山寺(たいさんじ)
現名称:瀧雲山 護持院 太山寺
御本尊:十一面観世音菩薩
創建年代:用明天皇2年(587)
開基:真野長者
所在地:伊豫国和気郡太山寺村(愛媛県松山市太山寺町)
宗派等:真言宗智山派

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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