四国35番 清瀧寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国35番 医王山 鏡池院 清瀧寺
土佐国高岡郡高岡村(高知県土佐市高岡町)

四国35番清瀧寺の納経

四国35番清瀧寺は土佐市の中心・旧高岡村の北の清滝山中腹にあります。

寺伝によれば、養老7年(723)行基菩薩が当地で霊気を感得し、薬師如来の像を刻んで本尊とし、一寺を開創したことに始まるとされます。当時は景山密院繹木寺と称しました。

弘仁年間(810~24)弘法大師が当地を訪れ、北の山中の岩の上に壇を築き、七日間の修法を行いました。満願の日に壇を金剛杖で突くと清水が湧き出して滝となり、鏡のような池ができました。これに因んで寺号を清瀧寺、院号を鏡池院と改めたとされます。

本堂から300mほど上ったところに寺号の由来となった閼伽井の泉があり、奥の院となっています。

伝承によれば、貞観3年(861)弘法大師の十大弟子の一人・真如法親王が大師の夢告によって土佐に下向し、当寺に1年間滞在しました。真如法親王は平城天皇の第三皇子で、嵯峨天皇の皇太子とされましたが、薬子の乱の後に廃され、出家して弘法大師の弟子となりました。密教の師を求めて天竺へ向かい、マレー半島で客死したと伝えられます。当時境内の入らずの森にある五輪塔は、真如法親王の逆修の塔とされます。

江戸時代には土佐藩主の帰依を受け、真言門頭9ヶ寺の一つとされました。末寺も十数ヶ寺を数えて繁栄しましたが、明治4年(1871)廃寺となり、同13年(1880)再興されました。

清瀧寺の納経

四国35番清瀧寺の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は右から

「奉納」
「本尊薬師如来」
「土州」「清瀧寺」
「酉三月廿三日」

中央の朱印は火炎宝珠に薬師如来の種字「ベイ」、右上は「第卅四番」、左下は「瀧」。

四國遍禮道指南 全訳注 (講談社学術文庫)四國遍禮道指南 全訳注 (講談社学術文庫)

清瀧寺の概要

医王山 鏡池院 清瀧寺(きよたきじ)
現名称:医王山 鏡池院 清瀧寺
御本尊:薬師如来
創建年代:養老7年(723)
開山:行基菩薩
所在地:土佐国高岡郡高岡村(高知県土佐市高岡町)
宗派等:真言宗豊山派

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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