水無神社(木曽福島)

長野県木曽郡木曽町福島1078(Mapiongooglemap

水無神社

水無神社(すいむ じんじゃ)
正式名称:水無神社
御祭神 高照姫命
創建年代:不詳
鎮座地:長野県木曽郡木曽町福島1078
社格等:旧県社

木曽の総鎮守として木曽氏や山村氏(尾張藩の代官)から崇敬された水無(すいむ)神社は、飛騨国の一宮・水無(みなし)神社から勧請された分社の一つです。

水無神社の御由緒

木曽福島の水無神社は飛騨一宮水無神社から勧請され、木曽の総鎮守として木曽氏が御嶽神社とともに深く崇敬していました。往古は水無大明神、水無天王、水無宮などとも称されました。

創建年代については、神社の由緒書きでは弘安年間(1278~87)、社頭掲示板によれば文永2年(1265)、『日本歴史地名大系 長野県の地名』は創建年代不詳で、鎌倉時代の弘安年間(1278~87)に木曽家仲が社殿を再興したとします。

現存している至徳2年(1385)の棟札には、延文2年(1357)木曽家有が再興、至徳2年に木曽家信が御宝殿を再興したとあります。

地元の伝承によれば、その昔、飛騨で戦乱が起こり、一宮の水無神社も戦渦に巻き込まれようとしていました。木曽から来た杣人の惣助と幸助は、その状況を見て故郷の木曽へお遷ししようと考えました。

二人は急造の神輿に御神体を遷し、木曽へと向かいます。しかし、飛騨と信濃の境に至った時、追っ手に追いつかれてしまいました。峠の上でもみ合い押し合いするうちに、神輿は担ぎ手の方から外れ、木曽側へと転げ落ちたのです。

ようやく危機を脱した二人は神輿を奉じて木曽福島にたどり着き、現社地に鎮際することができたと伝えられます(暗い山道を進むうち、誤って峠で神輿を落としてしまい、転がり落ちた神輿の止まったところが現社地という伝承もあるようです)。

7月に行われる例祭の「みこしまくり」はこの故事に因むもので、「惣助、幸助」の掛け声とともに重さ約百貫の白木の神輿を壊れるまでまくる(転がす)という奇祭です。

江戸時代には尾張藩の代官・山村氏の崇敬を受けました。明治5年(1872)村社に列格、大正13年(1924)郷社、昭和10年(1935)には県社に昇格しています。

水無神社の御朱印

事前に連絡をしておいたところ、書置きのものを準備しておいてくださいました。

水無神社の御朱印

水無神社の御朱印。中央上の朱印は「水無神社」、下は「水無神社々務所之印」。右のスタンプは「信州木曾福島鎮坐」「天下の奇祭みこしまくり」。

中山道の歩き方 木曽路をゆく―贄川宿~馬籠宿 (歴史街道トラベルガイド)中山道の歩き方 木曽路をゆく―贄川宿~馬籠宿 (歴史街道トラベルガイド)

水無神社の参拝記

木曽の中心地である木曽福島の市街地から少し西に行くと、木曽の総鎮守として古くから崇敬される水無神社が鎮座しています。参拝は平成22年8月。

木曽福島駅から徒歩で20分余り、国道19号線(中山道)の伊谷交差点から100mほど西に行くと、水無神社の参道があります。

水無神社参道入り口

県道沿いの参道入り口。参道の右側には長野県木曽養護学校があります。

水無神社境内入り口

境内入り口。樹木が多いというより、森の中に社殿や鳥居が点在するという感じの境内です。

水無神社手水舎の吐水龍

手水舎の吐水龍。何となく可愛い感じがしたので、つい…

水無神社木曽之宮

木曽之宮(郡忠霊殿)。昭和10年(1935)西筑摩郡忠霊殿として開山公園に建立されたそうです。

因みに、知らなかったのですが、木曽郡は昭和43年に改称されるまで西筑摩郡で、木曽地方は鎌倉時代に美濃国から信濃国に編入されて以降、筑摩郡の一部だったようです。

水無神社の境内社

境内社。由緒書きによれば天照皇太神宮、八幡宮、春日神社、町内各社合祀社、祖霊社などがあるようです。

水無神社拝殿

拝殿。幕の神紋は飛騨一宮水無神社と同じ「水瓢箪」。

水無神社本殿

本殿。

水無神社みこしまくりの神輿

7月に行われる例大祭、「みこしまくり」で使われた神輿が安置されていました。

「みこしまくり」は、神社の創建伝承に因み、「惣助(ソースケ)、幸助(コースケ)」の掛け声とともに白木の神輿を壊れるまでまくる(転がす)という奇祭です。YOUTUBEに動画がありました。

平成22年7月の例大祭の様子なので、上の写真の神輿と同じものと思われます。御旅所出発時の様子もありますが、元の姿はなかなか立派なものです。

にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました