四国34番 種間寺〈文政8年〉

四国34番種間寺の納経

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国34番 本尾山 朱雀院 種間寺
土佐国吾川郡秋山村(高知県高知市春野町秋山)

四国34番種間寺の納経

四国34番種間寺は高知市郊外ののどかな田園風景の中にあり、安産祈願で知られています。

寺伝によれば、用明天皇の御代、百済から日本に仏師や造寺工らが遣わされ、四天王寺の建立に携わりました。落慶の後、百済に帰る航海中に土佐沖で暴風雨に遭い、本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れました。彼等が海上安全を願い、薬師如来像を刻んで本尾山の山頂に祀ったのが当寺の起源とされます。

弘仁年間(810~24)唐から帰国した後に当地を巡錫した弘法大師は、伽藍を建立して寺を開創し、本尾山に祀られていた薬師如来を本尊として安置しました。その際、唐より持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから、「種間寺」の名がつけられたと伝えられます。

天暦年間(947~57)には村上天皇が藤原信家を遣わし、「種間」の勅額を賜りました。

信家は600巻の大般若経を奉納しようと願を立て、それを引き受けた一人の僧が3年をかけて写経を完成しました。そこで供養を行おうとしたところ、一陣の風が吹いて経巻が悉く天に舞い上がり、「僧には信があるので文字は受け取るが、願主には信がないので料紙は返す」という声がして、白紙になって落ちてきました。これを「白紙の経巻」と称し、冷泉天皇の時に宮中に納められ、かわりに大般若経600巻と十六善神の絵1幅が下賜されたといいます。

種間寺の安産祈願は、祈願する人が柄杓を預け、寺では柄杓の底を抜いて2夜3日の祈願を行い、御札とともに渡します。無事にお産がすむと、お礼参りの時にその柄杓を奉納するというものです。

目次

種間寺の納経

四国34番種間寺の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に

「奉納妙典」
「本尊薬師如来」
「土州」「本尾山」「種間寺」
「酉三月廿三日」

上に直筆で薬師如来の種字「ベイ」が書かれています。

中央に見える朱印は裏の清瀧寺の印が裏写りしているもののようで、種間寺の印は押されてないようです。右上は「三十四番」。左下は印影が薄くて判読できません。

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種間寺の概要

本尾山 朱雀院 種間寺(たねまじ)
現名称:本尾山 朱雀院 種間寺
御本尊:薬師如来
創建年代:弘仁年間(810~24)
開山:弘法大師
所在地:土佐国吾川郡秋山村(高知県高知市春野町秋山)
宗派等:真言宗豊山派

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