四国19番 立江寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国19番 橋池山 地蔵院 立江寺
阿波国那賀郡立江村(徳島県小松島市立江町)

四国19番立江寺の納経

四国7日目は立江寺まで。四国八十八ヶ所には、各国ごとに関所寺とされる寺院があります。悪事を犯した遍路や邪悪な心を持つ遍路は罰を受けるとされますが、中でも阿波の関所寺である立江寺は四国の総関所とも呼ばれています。

寺伝によれば、天平19年(747)聖武天皇の勅願により光明皇后の安産祈願のため、行基菩薩が1寸8分(約6cm)の延命地蔵菩薩像を刻み、伽藍を建立して本尊としたことに始まるとされます。その由縁から安産・子育ての地蔵尊として信仰を集めています。

弘仁6年(815)弘法大師が留錫した際、自ら一刀三礼して6尺(約1.8m)の像を造立し、行基菩薩御作の1寸8分の像をその胎内に納めました。

往古は現在地より400mほど西、現在は奥之院があるあたりに3町四方の境内を誇る大寺院であったと伝えられますが、天正年間(1573~92)長曽我部の兵火により焼失。その後、徳島藩主・蜂須賀家政により再建されました。

境内の黒髪堂には悪女お京ゆかりの肉付き鐘の緒が納められています。石見国出身のお京は、不義密通をしたうえ、その相手の男とともに夫を殺害し、後生のため二人で四国霊場を巡拝していました。立江寺まで来て本尊地蔵菩薩にお参りしたところ、黒髪が逆立って鐘の緒に巻き上げられました。お京が自らの罪を懺悔すると、鐘の緒に巻き上げられた黒髪もろともに頭の肉がはがれ、一命を取り留めることができました。二人は悔悛して出家し、一心に地蔵尊を念じて生涯を終えたと伝えられます。

子の肉付き鐘の緒が納められたのは享和3年(1803)で、太郎助の巡拝より20年余り前のことです。当時はまだ生々しい霊験譚だったのではないでしょうか。

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立江寺の納経

四国19番立江寺の納経

巡拝帳を見ると、墨書部分は右から順に

「奉納経」
「本尊地蔵大士」
「阿国橋池山」「立江寺」
「三月十六日」

中央に朱印はありません。右上は「第十九番」、押し直しています。左下は「橋池山」。

立江寺の概要

橋池山 地蔵院 立江寺(たつえじ)
現名称:橋池山 摩尼院 立江寺
御本尊:延命地蔵菩薩
創建年代:天平19年(747)
開山:行基菩薩
所在地:阿波国那賀郡立江村(徳島県小松島市立江町)
宗派等:高野山真言宗(別格本山)

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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