四国5番 地蔵寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国5番 無尽山 荘厳院 地蔵寺
阿波国板野郡矢武村(徳島県板野郡板野町羅漢)

四国5番地蔵寺の納経

大日寺から黒谷川沿いの道を下っていくと第5番札所の地蔵寺に着きます。徒歩で巡拝する場合、奥の院の五百羅漢から境内に入るようになります。

寺伝によれば、弘仁12年(821)嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が開創されたとされます。本尊は大師御自作と伝えられる勝軍地蔵の小像です。宇多天皇の頃、紀州熊野権現の遷宮に導師を務めた浄函上人は、熊野権現の託宣によって霊木に延命地蔵菩薩の像を刻み、その胎内に大師御作の勝軍地蔵を納めたと伝えられます。

勝軍地蔵への信仰から武門の崇敬篤く、源頼朝や義経、三好氏などより寄進を受けて寺運は隆盛し、最盛期には末寺300ヶ寺、塔頭26ヶ寺を誇ったといいます。天正年間(1573~92)長曽我部の兵火により堂塔は灰燼に帰しましたが、徳島藩主となった蜂須賀家の保護を受け、歴代住職や信者の尽力によって再興されました。

奥之院の五百羅漢は安永4年(1775)の創建で、太郎助の巡拝のちょうど50年前になります。

地蔵寺の納経

四国5番地蔵寺の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に

「奉納経」
「本尊地蔵大菩薩」
「阿州無盡山」「地蔵寺」(盡は尽の旧字)
「酉三月十四日」

中央に朱印はなく、右上の印は「第五番札所」、左下は「無盡荘厳」。

「無盡」「荘厳」はそれぞれ山号と院号で、現在使われているものと同じ文言ですが、角印で書体は大篆(金文から派生した複雑な書体で、その形から柳葉篆とか笹文字ともいわれるそうです)のようです。これから15年後の天保11年(1840)の納経帳では、現在の印とほぼ同じ丸印に印篆のものになっています。

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地蔵寺の概要

無尽山 荘厳院 地蔵寺(じぞうじ)
現名称:無尽山 荘厳院 地蔵寺
御本尊:延命地蔵菩薩(胎内仏:勝軍地蔵菩薩)
創建年代:弘仁12年(821)
開山:弘法大師
所在地:阿波国板野郡矢武村(徳島県板野郡板野町羅漢)
宗派等:真言宗御室派

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