山桜神社 馬頭の絵馬市

山桜神社社殿前

岐阜県高山市本町二丁目65(Mapiongooglemap

山桜神社

飛騨高山中心部の商店街に鎮座する山桜神社に参拝したのは平成23年8月。ちょうど「絵馬市」が行われている最中でした。当時、ネット上には山桜神社の御朱印に関する情報はありませんでしたが、こういう行事の期間であれば対応しているだろうと考えての参拝でした。なくても、絵馬市は面白そうでしたし。

山桜神社の「山桜」とは、飛騨高山藩の第4代藩主・金森頼直の愛馬の名前に因みます。

神社に掲げられていた由緒書きによると、明暦3年(1657)の江戸大火(振袖火事)のとき、江戸詰であった頼直は江戸城の鎮火に当たっていましたが、猛火に囲まれて進退窮まりました。この時、山桜は背に頼直を乗せ、従者3人を従えて江戸城の百間堀を越え、主君の危難を救ったと伝えられます。

後に年老いた山桜は、その功により高山城下の向町(現在の本町二丁目)に建てられた厩舎で養われました。

山桜の死後、厩舎の跡に馬頭観音を祀ったのが山桜神社の起源で、8月の縁日には「牛馬安全」「養蚕安全」「家内安全」「商売繁盛」「交通安全」などを祈願した「紙絵馬」を求め、家の壁に貼る風習が伝わっているそうです。

というわけで、元は馬頭観音を祀るお堂だったと思われます。多分、明治の神仏分離で神社になったのでしょう。下記概要の御祭神は『平成「祭」データ』によるものです。

御祭神のうち、火之夜芸速男(ひのやぎはやをのかみ)は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)のことです。山桜が江戸の大火から主君を救った故事により、鎮火・火の用心の信仰があるのではないかと思います。

なぜ主祭神が大山咋神(おおやまくいのかみ)なのかがよくわかりませんが、もしかすると「山桜」と「山(やま)」「咋(さく)」を掛けたのかもしれません。吉備真備は見当がつきません。

高山市本町商店街

本町商店街に入ると大きな紙絵馬が掲げられていました。ちょうど神社のあるあたりです。

山桜神社入口

神社の入り口。平日のためか、それほど人はいませんでした。

山桜神社社殿前

社殿の前では紙絵馬を授与していました。平日で人が少ないとはいえ途切れることはなく、熱心に見比べて選んでいました。

山桜神社社殿内

奥のほうでは、紙絵馬に買い求めた方や企業の名前を書きくわえていました。御朱印も同じ方の対応でした。

山桜神社紙絵馬

カラフルな紙絵馬。それぞれ商売繁盛や千客万来、大願成就などの文字が入っていました。サイズも大・中・小とあるようです。

山桜神社紙絵馬

いいなあとは思ったのですが、荷物になるので購入は断念。まあ、御朱印をいただくからということで…

目次

山桜神社の御朱印

山桜神社の御朱印

山桜神社の御朱印。中央上部の印は神紋でしょうか。あまり見かけない紋です。周囲の印は、右側上から「馬頭」「開運」「家内安全」、左側上から「飛騨の高山」「厄除」「山桜神社」。

絵馬市は8月1日から15日まで。山桜神社のほか、松倉山の松倉観音、東山寺町の素玄寺観音堂でも行われるそうです。

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山桜神社の概要

山桜神社(やまざくら じんじゃ)
正式名称:山桜神社
御祭神:大山咋神 /配祀:火之夜芸速男神、吉備真備
創建年代: 江戸時代初期
鎮座地:岐阜県高山市本町二丁目65
社格等:
※御祭神は『平成「祭」データ』による。

【由緒】
明暦3年(1657)の江戸大火(振袖火事)のとき、江戸詰であった飛騨高山藩主・金森頼直は江戸城の鎮火に当たっていましたが、猛火に囲まれて進退窮まりました。この時、頼直の愛馬・山桜は背に頼直を乗せ、従者3人を従えて江戸城の百間堀を越え、主君の危難を救ったとされます。

後に年老いた山桜は、その功により高山城下の向町(現在の本町二丁目)に建てられた厩舎で養われました。

山桜の死後、厩舎の跡に馬頭観音を祀ったのが山桜神社の起源で、8月の縁日には「牛馬安全」「養蚕安全」「家内安全」「商売繁盛」「交通安全」などを祈願した「紙絵馬」を求め、家の壁に貼る風習が伝わっています。

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