神戸市東灘区魚崎南町三丁目19-18(Mapion/googlemap)
魚崎八幡宮神社の西の大鳥居。
平成26年の年末神戸御朱印拝受、五宮神社の参拝を終え、バスで三宮駅へ。まだ時間があったため、もう少し神社参拝を続けることに。まず、阪神電鉄で東灘区の魚崎八幡宮神社に向かいました。初めての参拝です。
境内は東西に長細く、両端に鳥居があります。西の鳥居から境内を覗き、社殿が南向きなので南側にも参道があるのだろうかと南に回りましたが入口はなく、ぐるっと回って東の鳥居に着きました。
東の鳥居。社殿は東の鳥居に入ってすぐのところにあります。
東の鳥居脇にある「神依松」…と言いたいのですが、松の根元にある屋根囲いの中の切り株が「神依松」のようです。車が前に駐めてあったのと、事前リサーチが不足だったので、後ろの松が二代目とかかなと思ってしまったのでした。無念。
白鬚稲荷社。御祭神は倉稲魂命の一座、白鬚稲荷大明神、早房稲荷大明神、松玉稲荷大明神、辰井稲荷大明神、玉房稲荷大明神、豊岡稲荷大明神、熊松稲荷大明神、竹信稲荷大明神の八社が祀られています。
境内社。松尾神社だと思われます。酒造業者が多い地域だからでしょうか。
拝殿。平成20年の再建、縦に長い独特の形式です。
本殿。国道を背にして南面しています。
江戸時代、魚崎村の氏神は住吉村の本住吉神社だったようですが、明治の頃に八幡宮神社を氏神とするようになりました。
魚崎八幡宮神社の御朱印
魚崎八幡宮神社の御朱印。朱印の神紋は剣と矢を組み合わせており、あまり見かけないものです。鏡型の中には「八幡宮神社」「武庫郡魚崎町」。
魚崎町は大正3年(1914)に魚崎村が町制施行して成立、昭和25年(1950)神戸市に合併されていますので、この印はその期間に作られたものでしょう。
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魚崎八幡宮神社の概要
魚崎八幡宮神社(うおざき はちまんぐう じんじゃ)
正式名称:八幡宮神社
御祭神:天照皇大神、八幡大神、春日大神、八衢比古神、八衢比売神、久那戸神
創建年代:不詳
鎮座地:神戸市東灘区魚崎南町三丁目19-18
社格等:旧村社
【御由緒】
魚崎は酒造りで名高い灘五郷の一で、かつては「五百崎(いおざき)」と称したといいます。その由来は、神功皇后の三韓征伐の際、この浦に五百艘の船を集めて準備し、武庫の水門から船出したことによるとされます。
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐の帰途、この地の沖で船が進まなくなり、軍船を止めて磯辺の松につなぎ、神々の託宣を受けました。その後、皇后の船をつないだ松は長く立ち栄え、里人は皇后の大御形見として大切にしました。しかし、いつの頃か松は枯れて株のみ残ったため、雨覆いを造りました。これを「神依松」と呼び、これを祀って「五百(いお)神社」と称したといいます。
明治2年(1869)主祭神を応神天皇とし、同6年(1673)村社に列せられました。同12年(1879)兵庫県郡政局役所に「八幡宮神社」として届け出、同28年(1895)「五百神社」への改称を願い出るものの許されませんでした。
第二次大戦の戦火は免れたものの、平成7年(1995)阪神淡路大震災で社殿・西大鳥居・玉垣などが全壊。同9年(1997)朱の大鳥居を再建、平成20年(2008)本殿が完成、4月20日に奉祝祭が執り行われました。
年末年始神戸・播州・京都御朱印拝受
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