四国80番 讃岐国分寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国80番 白牛山 国分寺(こくぶんじ)

四国80番讃岐国分寺の納経印

75番善通寺から80番国分寺までは平坦な道で、札所間の距離が短い歩きやすいルートです。太郎助はこの行程を1日で歩いています。

白牛山国分寺(讃岐国分寺)は、天平13年(741)の聖武天皇の詔勅により全国に建立された国分寺の一つです。『続日本紀』天平勝宝8年(756)12月20日条に讃岐国など26ヶ国の国分寺に仏具を頒布したという記事があることから、それ以前には完成していたと考えらえています。

寺伝によれば、行基菩薩が自ら丈六の千手観世音菩薩像を刻み、本尊として開創したとされます。弘仁年間(810~24)弘法大師が留錫し、伽藍や本尊を修復したと伝えられます。

現在も開創当時と同じ場所にあり、遺構の保存状態も良いので、国の特別史跡に指定されています。本堂は鎌倉時代の再建ですが、創建当初の講堂の礎石を利用して建てられています。天正年間(1573~92)他の讃岐の多くの寺院と同じく、国分寺も長曽我部の兵火にかかりますが、本堂は消失を免れました。

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讃岐国分寺の納経

四国80番讃岐国分寺の納経印

『順拝帳』をみると、墨書部分は版木押しで、右から順に
「奉納大乗妙典」
「本尊千手観音」
「讃州 国分密寺」
「酉ノ三月十日」

朱印は中央上に十六八重菊の御紋、勅願所であることを示すものと思われます。右上には「四国八十番」、左下は「千手院」で、この左下の印は現在使われているものとほぼ同じようです。

讃岐国分寺の概要

現名称:国分寺
御本尊:千手観世音菩薩
創建年代:天平勝宝8年(756)以前
所在地:讃岐国阿野郡国分村(香川県高松市国分寺町国分)
宗派等:真言宗御室派別格本山

文政8年『神社仏閣順拝帳』
摩尼珠院 → 国分寺 → 白峯寺

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