四国81番 白峯寺〈文政8年〉

四国81番白峯寺の納経印

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国81番 綾松山 白峯寺(しろみねじ)

四国81番白峯寺の納経印

善通寺から国分寺までは讃岐平野の平坦な道のりでしたが、国分寺から白峯寺へは遍路ころがしといわれる急な坂道を登らなければなりません。

白峯寺は現在の坂出市と高松市、かつての阿野郡(綾歌郡)と香川郡の境にある五色台の白峰の山腹にあります。五色台は赤峰・黄峰(黄ノ峰)・黒峰・青峰・白峰の五つの峰に因んでいます。これらの名前は五行説の五色に因んでおり、弘法大師が名づけたといわれています。

創建については、弘仁6年(815)弘法大師が白峰に如意宝珠を埋め、閼伽井を掘ったことを淵源とします。貞観2年(860)金倉寺に滞在していた智証大師円珍が白峯大権現の託宣を受け、瀬戸内海に現れた流木(補陀落山の高木という)で千手観音の像を刻み、本尊として祀ったといわれます。

境内の頓生寺殿は崇徳上皇の御廟です。保元の乱で讃岐に流された上皇が長寛2年(1164)崩御すると、白峰の稚児嶽上で荼毘に付され、御陵が営まれました。その後、都に怪異が続き、上皇の祟りとされたため、歴代天皇や公卿・武将が法楽を捧げ、寺領や宝物を寄進して慰霊の誠を尽くしました。そのため寺運は隆盛し、最盛期には21坊を数えたといいます。

西行法師が白峯の御陵を参拝し、崇徳上皇の亡霊と対面した話は、上田秋成の『雨月物語』にも取り上げられています。その『雨月物語』が刊行されたのは太郎助の参拝の約50年前、安永5年(1776)のことでした。

目次

白峯寺の納経

四国81番白峯寺の納経印

『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に
「奉納経」
「八十一番」「本堂千手院宝前」
「讃州 白峯寺」
「酉ノ三月十一日」

朱印は中央上に十六八重菊の御紋、右下に「綾松山 白峯寺 洞林院」。

天保十一年の四国八十八ヶ所納経帳を見ると、「崇徳天皇御廟所」の文字が入るのですが、文政8年当時は本尊の千手観音に関わる文言のみのようです。幕末に向けて尊王意識が高まっていったことと無関係ではないでしょう。

白峯寺の概要

現名称:白峯寺
御本尊:千手観世音菩薩
創建年代:伝・弘仁6年(815)
所在地:讃岐国阿野郡青海村(香川県坂出市青海町)
宗派等:真言宗御室派別格本山
http://www.shiromineji.com/

文政8年『神社仏閣順拝帳』
国分寺 → 白峯寺 → 根香寺

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