四国51番 石手寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国51番 熊野山 虚空蔵院 石手寺
伊豫国温泉郡石手村(愛媛県松山市石手)

四国51番石手寺の納経

道後温泉にほど近い四国51番石手寺は、伝説上の四国遍路の元祖・衛門三郎ゆかりの寺院です。

寺伝によれば、神亀5年(728)伊予の太守・越智玉澄が霊夢によってこの霊地であることを感得し、聖武天皇の勅願により伽藍を建立。翌天平元年(729)行基菩薩を迎え、薬師如来を本尊として開眼供養を行いました。

弘仁4年(813)弘法大師が巡錫し、法相宗から真言宗に改めたとされます。

開創当初は安養寺と号しました。石手寺に改められたのは寛平4年(892)、衛門三郎再生の縁起によります。

衛門三郎は、弘法大師に会って懺悔をするために順逆21回四国を巡り、ついに12番焼山寺の麓、現在の杖杉庵(太郎助の順拝帳では恵信庵)で力尽きてしまいました。そこへ弘法大師が現れ、今生の悪業の果報が尽きたので、来世の望みを言うように告げました。来世は国守に生まれて善政を施したいと願いました。大師が「衛門三郎再生」と書いた小石を左手に握らせると、そのまま息を引き取りました。

その後、伊予の領主・河野息利に長男・息方が生まれたのですが、生まれたときから左手を握ったままでした。そこで安養寺で祈祷をしたところ、手が開いて中から「衛門三郎再生」と書いた小石が出てきました。

この奇瑞に因んで寺号を石手寺に改めるとともに、熊野十二所権現を勧請して山号を熊野山と改めました。

往古は現在の数倍の規模を誇っていたといいますが、永禄9年(1566)の多くの建造物を焼失しました。それでも文保2年(1318)建立の仁王門(国宝)をはじめ、本堂・三重塔・訶梨帝母天堂・鐘楼・護摩堂(以上、重要文化財)など鎌倉・室町時代の建物が残っています。

目次

石手寺の納経

四国51番石手寺の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は右から順に

「奉納経」
「本尊薬師如来」
「いよまつ山(伊豫松山)」
「石手寺」
「酉四月三日」

「いよまつ山」の「つ」は「津」になっていますが、繁多寺と同じく漢字ではなく変体仮名でしょう。

中央の朱印は火炎宝珠に薬師如来の種字「ベイ」、右上は「五十一番」、左下は「熊野山」。

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石手寺の概要

熊野山 虚空蔵院 石手寺(いしてじ)
現名称:熊野山 虚空蔵院 石手寺
御本尊:薬師如来
創建年代:天平元年(729)
開山:行基菩薩
所在地:伊豫国温泉郡石手村(愛媛県松山市石手)
宗派等:真言宗豊山派
http://nehan.net/

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