今村宮(いまむら ぐう)
正式名称:今村宮
御祭神:天照大御神、春日大神、八幡大神
創建年代:建武元年(1334)
鎮座地:岡山市北区今4-3-5
社格等:旧県社
【御由緒】
建武元年(1334)奥州白河の領主・菖蒲正寿が内山下の榎の馬場(現在の岡山県庁の北あたり)に天照大御神、春日大神、八幡大神を奉斎し、三社明神あるいは三社宮と称したことを創祀とします。
天正8年(1580)宇喜田直家が岡山城の拡張を行った際、御野郡今村の八幡宮に遷座・合祀され、今村宮と称されるようになりました。今村の八幡宮は三野新庄の鎮守として勧請されたと伝えられます。
この由緒により、現在の鎮座地である旧今村周辺のほか、旧岡山城下にも多くの氏子地域を抱えています。
元和9年(1623)現在の本殿が再建されました。安土桃山時代の建築様式の特徴を残しており、昭和30年(1955)岡山県の文化財に指定されました。
なお、黒住教の教祖・黒住宗忠は当社の社家の三男に生まれ、禰宜として奉仕していました。4月第1日曜日に行われる宗忠神社の御神幸は、明治19年(1886)宗忠神社の御鎮座報告と神恩感謝のため、宗忠の御神霊を遷した御鳳輦を今村宮に渡御したのが始まりです。その後、市中巡行を望む市民の要望に応え、後楽園を御旅所として神幸を行うようになりました。
今村宮の御朱印
今村宮の御朱印。中央の朱印は「今村宮御璽」。
太陽の神人 黒住宗忠―その超逆転発想は、激動の時代を生き抜く処方箋。
今村宮の参拝記
平成20年10月、レンタサイクルで岡山市中心部の神社を巡り、御朱印を拝受したのですが、その中でも以前から参拝したいと思っていたのが今村宮です。
今村宮は岡山神社などとともに旧岡山城下の鎮守の一つなのですが、城下からかなり離れた今(旧・御野郡今村)に鎮座しています。
これは、宇喜田直家が岡山城の拡張工事を行った際、城内の榎の馬場にあった三社明神を今村の八幡宮に合祀したという由緒によるもので、今村地域周辺とともに岡山城下の旧・三社明神の氏子が今も氏子になっているというわけです。
私自身にとっては黒住教の教祖・黒住宗忠が禰宜として奉仕していた神社という意味合いが強く、以前から参拝したいと思っていました。黒住宗忠という人物は、一宗教の教祖という枠を超えた非常に魅力的な人物の一人です。
その息吹を感じることができればと参拝したのですが、住宅街の中にありながら緑が多く、昔ながらのたたずまいを残し、当時もこういう感じだったのかと思わせる境内でした。
鎮座地はJR大元駅から西に約1.5km、途中に黒住宗忠を祀る宗忠神社(宗忠の生誕地)があります。
境内入口。2基の鳥居が見えます。「西学区電子町内会」によれば、本来は手前の鳥居が二ノ鳥居だったそうですが、昭和21年(1946)の南海地震で一ノ鳥居が倒壊し、境内に移設され(奥に見える鳥居)、現状のようになったそうです。
随神門。
境内社。
木野山神社。御本社は高梁市の木野山神社で狼を神使としており、こちらにも狛犬ではなく狼の像が安置されています。
拝殿。
拝殿の扁額「今村宮」。「村」が珍しい異体字で、「木」と「寸」が偏(へん)と旁(つくり)ではなく冠(かんむり)と脚(あし)になっています。
幣殿。岡山の神社はこういう大きな幣殿を備えた神社が多いように思います。
本殿。元和9年(1623)の再建で岡山県指定重要文化財。三間社流造(梁間二間)檜皮葺で正面に唐破風造りの向拝を付けます。豪壮な桃山時代の様式を示す見事な本殿です。
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