文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国47番 熊野山 妙見院 八坂寺
伊豫国浮穴郡浄瑠璃寺村(愛媛県松山市浄瑠璃町)
46番浄瑠璃寺から47番八坂寺までは約1km、しばらく山坂を越えての長い行程が続いていましたが、道後平野に入っての気楽な道のりです。
八坂寺は四国遍路の元祖とされる衛門三郎の菩提寺とされ、近くには衛門三郎の屋敷跡とされる文殊院や8人の子供の墓とされる八塚などがあります。
寺伝によれば役行者小角の開基とされます。大宝元年(701)文武天皇の勅願により、越智玉興が伽藍を建立しました。「八坂寺」の名は寺を建立するときに八つの坂を切り開いたことに因むといいます。
弘仁6年(815)弘法大師が巡錫し、寺を再興しました。
中世には紀州熊野より十二所権現を勧請し、修験の道場として繁栄しました。最盛期には塔頭12坊、末寺48ヶ寺を誇ったといいます。しかし天正年間(1573~92)の兵火で焼失した後は寺運が衰退し、寺域も縮小しました。
本尊の阿弥陀如来像は恵心僧都源信の作と伝えられ、愛媛県の文化財に指定されています。
八坂寺の納経
『順拝帳』を見ると、納経の左端部分が綴じ代にかかっているため、寺号の「八坂寺」が半分ほど見えなくなっています。書いた後で綴じたことを伺わせますが、二分冊中2冊目の表紙に当たる部分なので、このページのみの特殊事情があった可能性もあります。
墨書部分は右から順に
「奉納経」
「本尊阿弥陀如来」
「いよ松山 熊野山」「八坂寺」
「四月二日」
中央上の朱印は五三の桐と十六菊の御紋で、勅願寺であることを示すと思われます。右上は「四十七番」。左下は「熊野山 妙見院」ですが、「野」の字は異体字のようです。
八坂寺の概要
熊野山 妙見院 八坂寺(やさかじ)
現名称:熊野山 妙見院 八坂寺
御本尊:阿弥陀如来
創建年代:大宝元年(701)
開山:役行者神変大菩薩
所在地:伊豫国浮穴郡浄瑠璃寺村(愛媛県松山市浄瑠璃町)
宗派等:真言宗醍醐派
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