46番 浄瑠璃寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国46番 医王山 養珠院 浄瑠璃寺
伊豫国浮穴郡浄瑠璃寺村(愛媛県松山市浄瑠璃町)

四国46番浄瑠璃寺の納経

太郎助の『神社仏閣順拝帳』は2分冊になっており、浄瑠璃寺の納経は2冊目の表表紙にあります。そのため、岩屋寺と同じく紙面が汚れ、判読しづらくなっています。

標高720mの三坂峠を越えると松山城下を中心とする道後平野に入ります。道後平野には札所が8ヶ寺ありますが(いずれも現在の松山市内)、その打ち始めが46番浄瑠璃寺になります。

寺伝によれば、和銅元年(708)当地を訪れた行基菩薩が仏法流布の霊地と感得し、伽藍を建立したことを起源とします。白檀で薬師如来を刻んで本尊とし、脇侍の日光・学校菩薩、さらに眷属の十二神将を安置しました。寺号は薬師如来の浄土である浄瑠璃浄土に因みます。

大同2年(807)唐より帰朝した弘法大師が錫を留め、荒廃していた伽藍を再興したと伝えられます。

室町時代の末期には、河野氏の重臣で荏原城主の平岡道倚(ひらおか みちより)が病気平癒を祈願し、霊験を得たので、これに感謝して伽藍を再建しました。

正徳5年(1715)山火事で延焼して本尊と脇侍を残すのみとなりましたが、地元の庄屋から出家した堯音が住職となり、全国を勧進して天明5年(1785)に再建しました。また、堯音は45番岩屋寺からの遍路道に8つの橋をかけています。

太郎助の参拝は再建から40年後ということになります。

浄瑠璃寺の納経

四国46番浄瑠璃寺の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は印版で、右から順に

「奉納大乗妙典」
「薬師瑠璃光如来」
「豫州醫王山」
「四十六番」「浄瑠璃寺」

中央上の朱印は判読しづらいのですが、火炎宝珠に薬師如来の種字「ベイ」だと思われます。

左下の印は「養」のようですが、よくわかりません。現在使われている印とほぼ同じですが、よく見ると少し違います。

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浄瑠璃寺の概要

医王山 養珠院 浄瑠璃寺(じょうるりじ)
現名称:医王山 養珠院 浄瑠璃寺
御本尊:薬師如来
創建年代:和銅元年(708)
開山:行基菩薩
所在地:伊豫国浮穴郡浄瑠璃寺村(愛媛県松山市浄瑠璃町)
宗派等:真言宗豊山派

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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