四国番外 小村大師庵〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国番外 小村大師庵
伊豫国浮穴郡小村(愛媛県松山市小村町)

四国番外小村大師庵の納経

札始大師堂(ふだはじめ だいしどう)の名で知られる小村(こむら)大師堂は、四国遍路の元祖とされる衛門三郎ゆかりの番外札所です。江戸時代の納経帳には「小村大師菴(庵)」とあります。

伝承によれば、天長元年(824)弘法大師が当地を巡錫された時、伊予川(現在の重信川)を渡ろうとして途中で日が暮れてしまいました。そこで、川の中州の大松の下で野宿をしていましたが、にわか雨で増水し、身の置き所がなくなったため、法力をもって草庵を結びました。これが小村大師堂の始まりだと伝えられます。

大師はしばらくの間、ここを仮の宿りとして周辺の人々を教化され、荏原の領主・衛門三郎の屋敷にもここから通われたといいます。

前非を悔いた衛門三郎は、大師に詫びるために小村の草庵を訪ねましたが不在でした。大師自刻の御自像に懺悔して一夜を明かした三郎は、翌朝、大師の御跡を訪ねて旅立つ時に、目印とするために木を削いで札を作り、自らの名を書いて納めました。これが納札のはじまりとされ、このお堂は札始大師堂と呼ばれるようになりました。

今では衛門三郎ゆかりの霊場というと別格9番で衛門三郎の屋敷跡とされる文殊院が有名ですが、明治以前は小村大師堂のほうが重視されていたようです。江戸時代の納経帳でよく見かける番外札所の一つです。

現在は松山市東方町にある青岸山大蓮寺の境外仏堂となっています。

小村大師庵の納経

四国番外小村大師庵の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に

「伊与國八墓衛門三郎■■尊■」
「弘法大師御自作」
「松山浮穴郡小村 大師菴」(菴=庵)
「酉四月三日」

一行目の判読できない部分は「信厚尊像」のようにも見えますが、よくわかりません。他の江戸時代の納経帳にも小村大師庵の納経はありますが、版木が変わっており、該当部分を類推させる文言は見つかりませんでした。

三行目の「松山」は「松山(藩)領」の意味でしょう。浮穴郡小村は、現在の行政区画では松山市内ですが、江戸時代の松山城下からは離れています。

朱印のように見えるのは裏のページの印がにじんだもので、このページに朱印は押されてないようです。

愛媛県の民話―衛門三郎ほか (県別ふるさとの民話 (19))愛媛県の民話―衛門三郎ほか (県別ふるさとの民話 (19))

小村大師庵の概要

小村大師庵(こむら だいしあん)
現名称:青岸山大蓮寺境外仏堂 小村大師堂
通称:札始大師堂
御本尊:弘法大師
創建年代:天長元年(824)
開山:弘法大師
所在地:伊豫国浮穴郡小村(愛媛県松山市小村町)
宗派等:真言宗豊山派

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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