文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国63番 密教山 胎蔵院 吉祥寺
伊豫国新居郡氷見村(愛媛県西条市氷見乙)
四国63番吉祥寺は、四国八十八ヶ所で唯一、毘沙聞天を本尊としています。
元は現在地から南東約1.5kmの坂元山にありました。坂元という地名も、吉祥寺から見て坂の麓にあったことに因むものです。
寺伝によれば、弘法大師が当地を巡錫したとき、坂元山で檜が不思議な光を放っていました。その檜で毘沙聞天と吉祥天、善膩師童子の像を刻み、衆生の貧苦の救済を祈願して一寺を建立したことに始まるとされます。
往古は広大な寺域と塔頭21坊を誇ったと伝えられますが、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐による戦火で全山焼失し、万治2年(1659)末寺の檜木寺と合併して現在地に再興されました。
御本尊の毘沙聞天は「米持ち大権現」と呼ばれ、古くから農民の信仰を集めているといいます。
また、寺から200mほど南には「芝井水(芝の井、芝井の泉)」があります。弘法大師が、水が乏しい土地であるにもかかわらず、遠方から汲んできた水を快く施してくれた老婆のために、錫杖で地面を突くと湧き出したという湧水です。古来、「芝井のお加持水」「長寿水」と呼ばれ、日照りのときにも涸れることはないといいます。
吉祥寺の納経
『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に
「奉納経」
「四国六十三番」
「本尊多聞天王」
「与州芝井水」「吉祥寺」(与州=豫州)
「酉四月六日」
中央上の朱印は十六菊の御紋。左下の印は「密教胎蔵」で、吉祥寺の山号と院号です。
ところで御本尊について、通常は「毘沙門天」と書きますが、吉祥寺では「毘沙聞天」と書くそうです。
太郎助の順拝帳では「多聞天王」となっていますが、他の江戸時代の納経帳を見ると版木押しのものでも「毘沙門天」となっている例と「毘沙聞天」となっている例があるようです(いずれも版木押し。筆書きだと書き損じの可能性もあるので)。明治38年の納経帳でも「毘沙門天」となっていますので、元はそれほどこだわりがなかったのではないでしょうか。
吉祥寺の概要
密教山 胎蔵院 吉祥寺(きちじょうじ)
現名称:密教山 胎蔵院 吉祥寺
御本尊:毘沙門天
創建年代:弘仁年間(810~24)
開基:弘法大師
伊豫国新居郡氷見村(愛媛県西条市氷見乙)
宗派等:真言宗東寺派
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