上野東照宮 東武鉄道御朱印ラリー

東京都台東区上野公園9-88(Mapion/googlemap

上野東照宮

東武鉄道の「徳川家康公奉斎四百年記念 御朱印ラリー」、2社目は上野東照宮。

上野東照宮(うえの とうしょうぐう)
正式名称:東照宮
御祭神:徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公
創建年代:寛永4年(1627)
鎮座地:東京都台東区上野公園9-88
社格等:旧府社
http://www.uenotoshogu.com/

【御由緒】
元和2年(1616)家康の見舞いのために駿府城を訪れた藤堂高虎と天海僧上は、病床の家康から三人一処に末永く鎮まる場所を造ってほしいと遺言されました。これに従って、元和9年(1623)上野忍ヶ丘(現在の上野公園)にあった藤堂家の屋敷内に家康を祀る宮祠を建立したことを起源とするとされます。

その後、藤堂家の屋敷は上知されて寛永寺の境内となり、寛永4年(1627)藤堂高虎と天海僧上が東照社を勧請、尾張の徳川義直・紀伊の徳川頼宣・水戸の徳川頼房らの協力により完成しました。

正保3年(1646)宮号宣下により東照宮となり、慶安4年(1651)徳川家光により現社殿が造営されました。

明治の神仏分離で寛永寺から独立、府社に列格しました。

戊辰戦争・関東大震災・第二次大戦の災禍を免れた権現造の社殿は国の重要文化財。その他、唐門・透塀・銅燈籠・大石鳥居・紫地葵紋付桐文散辻が花染胴服が重要文化財に指定されています。

上野東照宮の御朱印

御朱印は通常と同じく授与所にて。

上野東照宮の御朱印

上野東照宮、東武鉄道御朱印ラリーの「オリジナル御朱印」。中央の印は「平成二十七年 上野東照宮 家康公奉斎四百年記念」、左下は「上野東照宮社務所」。

上野東照宮の御朱印

こちらは平成26年に御朱印帳をいただいた際に拝受した通常の御朱印。中央の朱印は「天海僧上 東照神君 藤堂高虎」で、上野東照宮の創建に関わる3人の名が入っています。

徳川家康公遺訓 人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、急ぐべからず――徳川家康公遺訓 人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、急ぐべからず――

上野東照宮の参拝記

5年にわたる修復工事を終え、豪壮華麗な創建時の姿を蘇らせた上野東照宮の社殿は「金色殿」とも称されます。

参拝は浅草神社の翌週。前々日に梅雨明けとなり、夏の日差しを浴びながらの参拝となりました。要はとっても暑かったということですが。

JR上野駅の公園口から木蔭を選びつつ上野東照宮へ向かいました。

上野東照宮鳥居

大石鳥居。寛永10年(1633)酒井忠世の寄進によるもので、関東大震災でも傾かなかったそうです。

上野東照宮唐門

唐門と透塀、その背後に拝殿。

上野東照宮境内栄誉大権現

栄誉大権現。狸の木像を祀っています。四国八百八狸の総帥で、最初は江戸城の大奥に祀られていましたが、さまざまな災いを引き起こしました。その後、大名や旗本の家に移されましたが、その先でも災いをなし、大正年間に上野東照宮に祀られてから鎮まったといいます。今では、「狸」は「他を抜く(他抜)」として、強運・受験・商売などの御利益で信仰を集めているそうです。

上野東照宮本殿

透塀の内部に入ると、目の前に金色に輝く本殿があります。

上野東照宮拝殿

拝殿。金箔と黒漆の豪壮な建築です。改修前は朱い社殿という印象がありましたが、朱漆の上に金箔を貼っているようで、金箔がはげたために朱色が目立ったのでしょう。

上野東照宮唐門

唐門、内側から。

上野東照宮唐門の彫刻

唐門、諫鼓鶏の彫刻。泰平の世を象徴します。

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