四国41番 稲荷大明神・龍光寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国41番 稲荷大明神稲荷山 護国院 龍光寺
伊豫国宇和郡戸雁村(愛媛県宇和島市三間町戸雁)

四国41番龍光寺の納経

四国41番札所は明治の神仏分離によって稲荷神社と龍光寺に分けられましたが、今でも神仏習合時代の景観を色濃く残しています。

小高い岡の中腹に赤い鳥居と稲荷神社の本殿が建ち、一段下がった参道脇に龍光寺の本堂と大師堂が建っています。元は稲荷神社の社殿を本堂として、御祭神の稲荷大明神と本地仏の十一面観音が祀られていました。

本堂とはいっても、本殿・幣殿・拝殿からなる神社建築で、もともと神仏一体の霊場であったことをよく示しています。

寺伝によれば、大同2年(807)弘法大師がこの地を巡錫されていたとき、稲を担いだ白髪の老翁が現れ、「我、この地に住し、仏法を守護して衆生を利益せん」と告げると姿を消しました。

この老翁が稲荷大明神であることを悟った大師は、稲を担った稲荷明神像を造立し、一宇を建立して奉安しました。また、稲荷の本地である十一面観音と脇侍として不動明王と毘沙門天を合わせて安置し、稲荷山龍光寺と名付けて四国霊場の総鎮守としました。

元は現在の県立三間高等学校付近の稲荷田にあり、承応2年(1653)に四国を巡拝した澄禅の『四国辺路日記』には田中に在る小さな社とあります。しかし、元禄元年(1688)火災のため、現社地に遷座しました。ここにはもともと廣田社が鎮座していたようですが、今は末社として本殿脇に祀られています。

宇和島市の文化財に指定されている稲荷神社の本殿は18世紀前半の建築ということですから、太郎助が巡拝した時にはすでに建立されていたのか、それとも参拝後に建立されたのかは不明です。

明治の神仏分離で稲荷神社と龍光寺に分離され、旧本堂は稲荷神社の社殿とされました。稲荷大明神像と本地仏・十一面観音像は、一段下がった参道脇に建立された龍光寺の本堂に遷され、現在に至ります。

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龍光寺の納経

四国41番龍光寺の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に

「奉納経」
「本社稲荷大明神 廣前」
「本地十一面観音 寶前」
「伊豫国稲荷山 龍光寺」
「酉三月廿九日」「行者丈」

中央の朱印は火炎宝珠に十一面観音の種字「キャ」、不動明王の種字「カーン」、毘沙門天の種字「ベイ」。右上は「四国四十一番」、左下は九畳篆の書体で判読できません。

稲荷信仰の世界―稲荷祭と神仏習合稲荷信仰の世界―稲荷祭と神仏習合

龍光寺の概要

稲荷大明神(いなり だいみょうじん)
現名称:稲荷神社
通称等:三間稲荷神社
御祭神:豊宇気姫命 /配祀:猿田彦命、大宮女大神
創建年代:不詳
所在地:伊豫国宇和郡戸雁村(愛媛県宇和島市三間町戸雁)
社格等:

稲荷山 護国院 龍光寺(りゅうこうじ)
現名称:稲荷山 護国院 龍光寺
御本尊:十一面観世音菩薩
創建年代:大同2年(807)
開山:弘法大師
所在地:伊豫国宇和郡戸雁村(愛媛県宇和島市三間町戸雁)
宗派等:真言宗御室派

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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