備後護国神社 戦前と現在の御朱印

広島県福山市丸之内1-9-2(Mapiongooglemap

備後護国神社

福山市の鞆の浦に鎮座する旧国幣小社・沼名前神社は社格の入った戦前の御朱印を使用しているという点で、御朱印収集家として注目すべき神社ですが、戦前の御朱印との比較という意味では、旧福山市内にある二つの別表神社にも要注目です。今回はその一つ、備後護国神社。

戦前に使っていた御朱印と現在の御朱印が違う神社というのは珍しくありません。最近10年間に限っても、御朱印が新しくなった神社はいくつもあります。

備後護国神社が特別であるのは、戦前はそれぞれ独立していた福山護国神社と阿部神社が、戦後、合祀されて一つの神社になったというところです。備後護国神社の御朱印は、その歴史を反映した二つの印が押されます。

福山護国神社は旧内務大臣指定護国神社で、広島県内のうち旧備後国出身の護国英霊を祀ります。福山城本丸の人質櫓跡にあり、草戸に新社殿を造営していましたが、完成間近の昭和20年8月、空襲のために焼失してしまいました。戦後は備後神社と称しました。

阿部神社は文化10年(1813)阿部氏の遠祖である大彦命・武沼河別命・豊韓別命と歴代藩主を祀る勇鷹(いさたか)神社として創建されました。明治10年(1877)阿部神社と改称、県社に列しました。

昭和32年(1957)阿部神社の社殿を改築して備後神社と合祀・合併し、備後護国神社と改称、現在に至ります。

閑話休題。

備後護国神社大鳥居

備後護国神社の大鳥居。草戸に造営されていた福山護国神社の大鳥居で、戦後は同地の砂地に埋納されていましたが、後に掘り出されて移築されたそうです。

備後護国神社慰霊碑

境内の慰霊碑。

備後護国神社拝殿神門

拝殿神門。左右に翼殿を持つ典型的な護国神社拝殿の様式になっています。

備後護国神社参道

神門をくぐると、まっすぐ社殿へと続く石段があります。

備後護国神社拝殿

拝殿。境内に奥行がありませんが、もともと南向きだった社殿を、合祀の際の改築時に西向きにしたのだろうと思います。

備後護国神社社殿

南から見た拝殿・本殿。

備後護国神社、阿部正弘公石像潜り

阿部正弘公石像潜り。第7代藩主・阿部正弘は幕末の困難な情勢の中、老中首座として幕政の中枢を担いました。教育の振興や優秀な人材の登用を図ったことから、学業成就・就職祈願の神徳で信仰があるそうです。

備後護国神社、旧阿部神社神門

境内南側にある阿部神社の旧参道と神門。門帳には阿部家の家紋である丸に違い鷹の羽。こちらの参道の途中には宮本武蔵の瞑想石などがあるのですが、写真を撮り忘れていました。残念。

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備後護國神社の御朱印

御朱印は南参道脇の社務所にていただきました。

備後護国神社の御朱印

備後護国神社の御朱印。上の印は桜花に「備後護国神社」。下の印は「阿部神社」「備後国鎮護」「勇鷹宮」。福山護国神社と阿部神社を合祀・合併した歴史を反映しています。

そして戦前の御朱印。

福山護国神社の御朱印

福山護国神社の御朱印、昭和17年。正確に言えば戦前ではなく戦中です。印文は「福山護國神社」。

阿部神社の御朱印

阿部神社の御朱印、昭和10年頃。中央の朱印は大篆(柳葉篆)で「阿部神社」。右上は勾玉に「縣社」、その下は「福山市鎮座」、左下の印は「社務所印」。

備後護国神社の概要

備後護国神社(びんごごこくじんじゃ)
正式名称:備後護国神社
旧称:福山護国神社、阿部神社
御祭神:備後国出身の護国英霊、大彦命、武沼河別命、豊韓別命、歴代備後福山藩主
創建年代:福山護国神社…明治元年(1868)/阿部神社…文化10年(1813)
鎮座地:広島県福山市丸之内1-9-2
社格等:旧内務大臣指定護国神社(福山護国神社)、旧県社(阿部神社)、別表神社
http://nttbj.itp.ne.jp/0849221180/

【由緒】
昭和32年(1957)旧内務大臣指定護国神社の備後神社(福山護国神社)と旧県社・阿部神社を合祀して備後護国神社となりました。

福山護国神社は明治元年(1868)第10代藩主・阿部正桓が石見益田の役と函館戦争で戦死した藩兵を祀るため、深津郡吉津村(福山市北吉津町)の野上八幡神社(現・福山八幡宮)境内に招魂社を創立したことを起源とします。同26年(1893)福山城本丸の人質櫓跡に遷座、同34年(1901)官祭福山招魂社と改称し、昭和14年(1939)内務大臣指定の福山護国神社となりました。

同15年(1940)草戸に壮大な新社殿を建てることとなりました。戦時下も工事が続けられましたが、同20年(1945)8月、福山大空襲により完成間近の社殿が焼失。跡地は福山市体育館となっています。戦後は備後神社と改称。

阿部神社は文化10年(1813)福山藩5代藩主・阿部正精が天神山に阿部氏の遠祖である大彦命と武沼河別命、豊韓別命、阿部家歴代藩主を祀り、勇鷹神社と称したことに始まります。明治10年(1877)阿部神社と改称、県社に列格しました。

主祭神の大彦命は孝元天皇の皇子で四道将軍の一人、大和国の高屋安倍神社(式内名神大社、奈良県桜井市に鎮座する式内社・若桜神社の摂社)より勧請されました。武沼河別命はその御子、豊幹別命は孫になります。

昭和32年(1657)阿部神社の社殿を改築し、備後神社と合祀して備後護国神社と改称しました。この時、南側にあった従来の参道に代わって西側に新しい参道を整備、麓には護国神社の拝殿を模した神門が設けられました。

戦前と現在の御朱印(福山市の別表神社)
沼名前神社・備後護国神社・福山八幡宮

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