文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国60番 佛光山 福智院 横峰寺
伊豫国周敷郡千足山村(愛媛県西条市小松町石鎚甲)
四国60番横峰寺は64番前神寺とともに西日本最高峰・石鎚山の旧別当寺で西の遥拝所とされます。標高740mの地にあり、四国霊場の難所の一つです。
若き日の弘法大師が石鎚山で修業したことは大師自筆の『聾瞽指帰(ろうこしいき)』にも明らかです。
寺伝によれば、白雉2年(651)役行者が星ヶ森(横峰寺の奥の院、寺から500mほどのところにあり、石鎚山の遥拝所になっている)で修業中、石鎚山の山頂に蔵王権現を感得しました。その姿を石楠花の木に刻み、一宇を建立して奉安したのが横峰寺の起こりとされます。
大同年間(806~10)弘法大師が星ヶ森で星供の法を修して蔵王権現を感得し、伽藍を整えたと伝えられます。
江戸時代には石鎚山の別当職をめぐって前神寺と争論となりますが、太郎助が参拝した文政8年(1825)に幕府の裁定があり、前神寺が勝訴。石鎚山の別当は前神寺、横峰寺は佛光山石鈇社の別当とされます。
明治の神仏分離で廃寺とされ、石鎚神社の西遥拝所横峰社となりました。60番札所は清楽寺に移されています。しかし旧檀家から再建願いが出され、明治13年(1880)大峰寺として再興。同18年(1885)清楽寺と協議の上、札所が返納されて清楽寺は前札所となりました。同42年(1909)旧称に復しています。
横峰寺の納経
『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から
「霊刹伊豫国」
「石鎚山蔵王権現」
「別当横峰寺」
「酉四月五日」
中央に宝印はなく、右上の印は白抜きで「六十番」、左下は同じく白抜きで「石峰云山」(云=雲)。
この順拝帳では「石鎚山蔵王権現」となっていますが、この年の江戸幕府の裁定により、横峰寺は石鎚山の別当を称することができなくなります。そのため、天保期以降の納経帳では「石鈇社蔵王権現」あるいは「佛光山石鈇社 大悲蔵王権現」などと記されるようになります。
天保11年(1840)の納経帳。「石鈇社蔵王権現」となっています。
横峰寺の概要
佛光山 福智院 横峰寺(よこみねじ)
現名称:石鈇山 福智院 横峰寺
御本尊:大日如来
創建年代:白雉2年(651)
開山:役行者神変大菩薩
所在地:伊豫国周敷郡千足山村(愛媛県西条市小松町石鎚甲)
宗派等:真言宗御室派
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