西国13番 石山寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国13番 石光山 石山寺
近江国滋賀郡寺辺村(滋賀県大津市石山寺)

石山寺の納経

西国12番正法寺を参拝した太郎助は、引き続き西国霊場の順番通り13番石山寺に参拝しています。「石山秋月」は近江八景の一つに数えられます。

石山寺は天平19年(747)聖武天皇の命により良弁僧正が建立したと伝えられます。伽藍は巨大な珪灰石の岩盤の上に建っており、石山寺の名はこれに因みます。

聖武天皇は東大寺の大仏造立を発願し、その表面に鍍金を施すための黄金が必要になりました。良弁僧正に命じて祈祷をさせたところ、蔵王権現より近江国志賀郡の湖南に観世音菩薩の霊地があるので、そこで如意輪法を修するようにとの夢告を受けました。

良弁僧正は霊地を求めて近江国に向かい、勢田郷で老翁の姿をした比良明神に出会いました。その導きにより、岩の上に聖徳太子の念持仏である如意輪観音を安置し、その傍に草庵を結んだ。これが石山寺の始まりとされます。

孝謙上皇と淳仁天皇により保良宮が造営されると石山寺はその鎮護寺とされ、天平宝字5年(761)から大規模な増改築が行われました。

都が平安京に移されると、京に近い観音霊場として信仰を集め、宇多法皇をはじめ、東三条院詮子、藤原行成、藤原道長など多くの人々が参拝しています。また、紫式部は当時で源氏物語の着想を得たとされる伝承は有名ですが、ほかにも清少納言は『枕草子』に「寺は石山」と記し、『蜻蛉日記』の藤原道綱母や『更級日記』の菅原孝標女も石山詣でをしています。

さらに源頼朝をはじめ武将の帰依も篤く、徳川家康は寺領573石を寄進しています。

古い建築もよく残っており、国宝の本堂を構成する正堂と礼堂のうち、正堂は永長元年(1096)再建で滋賀県最古の建築。礼堂は慶長7年(1602)淀君によって寄進されたものです。建久5年(1194)建立の多宝塔も国宝で、年代の明らかな多宝塔としては日本最古とされます。

他にも鎌倉時代に建立された鐘楼をはじめ、東大門、蓮如堂、御影堂などが重要文化財に指定されています。

石山寺の納経

石山寺の納経

順拝帳を見ると、揮毫は右から順に

「奉納経」
「本尊如意輪観世音」
「江州いし山寺」「役者」

中央の宝印はぼやけていますが、蓮華座乗の火炎宝珠に如意輪観音の種字「キリーク」と思われます。右上は「西国第拾三番」、左下は「石山明■」のようですが、よくわかりません。

石山寺の信仰と歴史石山寺の信仰と歴史

石山寺の概要

石光山 石山寺(いしやまでら)
現名称:石光山 石山寺
御本尊:如意輪観世音菩薩
創建年代:天平19年(747)
開基:良弁僧正
近江国滋賀郡寺辺村(滋賀県大津市石山寺)
宗派等:東寺真言宗 大本山
http://www.ishiyamadera.or.jp/

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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