御朱印転売考

 

転売

平成28年も年の瀬を迎えました。今年はテレビでも何度か御朱印が取り上げられ、好評だったようです。御朱印の一般への認知も進んでいるように思います。

一方で問題になったのが御朱印の転売で、新聞やテレビでも取り上げられました。そこで、一年の締めくくりとして、御朱印の転売について考えるところを書いてみたいと思います。

なぜ御朱印が転売されるようになったのか?

ネットオークションで御朱印の出品を見かけるようになったのは、ここ3,4年ほどのことではないかと思います。それ以前から古い集印帖の出品はありましたが、自分がいただいてきた御朱印をネットオークションに出品する、つまり御朱印の転売はほとんどありませんでした。

なぜ御朱印の転売が行われるようになったかと言えば御朱印がブームだからでしょう。人気があるから転売で稼ごうとする人が出てくるわけで、これはコンサートのチケットやゲーム機やソフトなどの転売も同じです。

御朱印の転売が目立つようになる前は、いわゆる「嵐神社」と呼ばれるアイドルグループ嵐のメンバーの名字と同じ神社の御守りなどの転売が目立っていました。初期の御朱印の転売では「嵐」のタグを見かけることがあったので、そのあたりから御朱印の転売に切り替えていった人がいたのではないかと思います。

また、その頃からいくつかの寺社が限定御朱印の授与を行い、人気を集めるようになりました。これが転売の需要を生み出した面は否定しがたいと思います。

いずれにせよ、御朱印に限らず人気があるから転売されるようになるわけで、これは宿命的なことといえるでしょう。言い換えれば、人気がなければ転売もされないということですが、それでいいのかという話です。

御朱印転売の何が問題か?

少なくとも現時点において、御朱印の転売に法的な問題はないようです。また、今後も法的に取り締まる対象にはならないのではないかと思います。

そもそも御朱印は参拝の証しとして希望者に授与されるものであって、商品として販売されるものではありません。つまり、本来転売されることなど想定されてないわけです。

御朱印の転売を考える上で難しいのは、人によって価値観が違うということです。

御朱印に宗教的な価値を認める人にとっては神仏から授かったものであって、おろそかに扱ってはならないし、まして転売など言語道断ということになります。しかし、宗教的な価値を認めない人にとっては「モノ」でしかありません。それこそスタンプラリーのスタンプのプレミアム版のような感じなのでしょう。

一般的な日本人であれば、たとえ特に信仰はなくても宗教的なものはおろそかにしない、あるいは他者が大切にしているものは尊重するという感性を持っています。

つまり、御朱印の転売は宗教的な観点から見て言語道断なのは当然ですが、他者が大切にしているものをないがしろにするという意味でも、極めて問題のある行為といえるでしょう。

御朱印の転売は本当に儲かるのか?

さて、私が御朱印の転売を考える上で重要だと思っているのは、本当に御朱印の転売は儲かるのだろうか、ということです。確かに高額での落札があるのは事実ですが、実際にはそれほど儲かっていないのではないでしょうか。

例えば、新聞などに取り上げられた例として、富士山山頂にある浅間大社奥宮の平成28年申年限定の御朱印のセットが5万円で落札されたという話がありました。これだけを見ると、かなり儲かったように見えます。

しかし、御朱印をいただくためには現地まで行かなければなりません。富士山頂であれば、交通費や宿泊費、御朱印をいただくための初穂料などかなりな金額になるはずです。さらに費やした時間と体力を考えれば、それほど割のいい仕事とはいえないと思うわけです。

もちろん複数出品すれば大きな儲けという考えもあるでしょう。しかし、平成28年9月時点で確認すると、上記と同じ御朱印が3万5千円で入札0でした。

私が見る限り、ネットオークションでの御朱印の高額落札は少数です。上の画像を見てもわかるように入札0のほうが多く、明らかに自分で出品したものに別のアカウントで入札している例もあります。かけた経費の総額と落札で得た利益の総額でいえば、むしろ赤字のケースが多いのではないかと思われます。

ネットワークビジネスやギャンブルなど、実際には損しているのに、儲けを夢見て資金をつぎ込むという例はよく見られます。たまに大きな儲けがでるから、正しく見切りをつけることが出来ず、さらに泥沼に入るわけです。

御朱印の転売も実際にはそれらと同じようなことになっているのではないでしょうか。

御朱印の転売に需要はあるのか?

当然、売買が成立しているのですから、御朱印の転売にも一定の需要があることは間違いありません。しかし、入札の様子を見る限り、それほど需要は多くないのではないかと思います。これは御朱印というものの性質に由来すると考えます。

先日、初めて御朱印拝受のオフ会を行い、同好の方と話す機会がありました。非常に盛り上がって時間の経過を忘れるほどだったのですが、その話の内容の大半は、御朱印拝受の体験談でした。

結局、御朱印拝受の醍醐味は御朱印そのものよりも御朱印をいただくまでの過程にあるわけです。

例えばコンサートのチケットやゲーム機ならば、たとえ転売されたものであっても、楽しみに違いはありません。しかし、御朱印の場合、転売で購入しても、単なるコレクションとしての価値しかありません。その場では嬉しいかも知れませんが、心に残るものは何もないのです。

なので、御朱印がブームとはいっても、ネットオークションを利用してまで珍しい御朱印を手に入れたいと考える人がそれほど多いとは考えられません。もちろん、少数とはいっても一定数はいるでしょうし、高額落札もあるでしょうが、それほど規模が大きくなることはないでしょう。

御朱印の転売と代参

御朱印の転売を代参と同じものとして正当化する人がいます。しかし、御朱印の転売と代参はまったく意味が違います。

森の石松の金毘羅代参をはじめ、昔から寺社への代参というのは行われてきました。そもそも御朱印の起源である六十六部の巡拝も、施主の代参という形で行われることが多かったようです。そういう意味で、私は代参による御朱印拝受は問題ないと考えます。

代参というのは文字通り代理で参拝するわけですから、誰の代理かということは明確です。当然、参拝においても願主と願意をきちんと伝えることになります。

ところが、御朱印の転売の場合、参拝の時点では御朱印が誰の元に届けられるのかがわかっていません。当然、代理での参拝など出来ようはずがありません(そもそも転売に携わっている人は参拝すらしていないことが多いようですが)。

御朱印の転売を代参などとするのは論外です。

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コメント

  1. 瑠璃 より:

    はじめまして。いつもブログを拝見しております。
    今回の御朱印・御納經印の転売に関しては全く同感です。
    出品する側も論外ですが購入する側もどんな気持ちで購入するのか理解できません。おっしゃるように”モノ”として捉えているのなら悲しい事です。
    私も参拝した寺院の御住職様方から「朱印を貰うと御本尊様にお参りもせず帳面を引ったくるようにして出て行く人達も多い」と伺いました。
    これも単なる”モノ・スタンプ”として捉らえているのかと考えてしまいます
    長文で失礼致しました。

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