平潟神社

新潟県長岡市表町1-6-1 [Mapion|googlemap]

平潟神社

平潟神社(ひらかたじんじゃ)
正式名称:平潟神社
通称:ちけん(智慶)様
御祭神:建御名方刀美命/配祀:八阪刀売命 大国主命 沼河姫命
創建年代:天平年間(729~49)
例祭:7月25・26日
社格等:旧県社

【御由緒】
創建は天平年間(729~49)と伝えられます。天平8年(736)当地で疫病が流行ったとき、行基菩薩が自ら刻んだ普賢菩薩の像を奉安し、祈念したという伝承があります。

社号はかつて長岡市の主要部が平潟と呼ばれ、その鎮守として諏訪大明神を祀り、平潟殿と称されたことに因みます。

旧別当の智慶院は当山派の修験寺院で、配下19ヶ院の触頭を勤めていました。当社の通称である「智慶〔ちけん〕様」は智慶院に因みます。

古くは現在の長岡駅(旧長岡城跡)あたりに鎮座しており、上杉謙信・景勝も深く崇敬したといいます。元和2年(1616)堀直寄が長岡城を築いた際、現社地に遷座しました。同4年(1618)長岡藩主となった牧野氏は当社を祈願所とし、社領40石を寄進しました。

元禄年間(1688~1704)牧野氏の命により古志郡青木高畑村(現・長岡市高畑町)の青木諏訪社を合祀。青木諏訪社は、元は青木神社と称し、広壮な社殿と神領25石を有していました。しかし、慶長年間(1596~1615)神官の桜井氏が越後一揆に荷担したため、神領を没収され、社号も諏訪社と改められたといいます。

明治5年(1872)村社に列格。同27年(1894)火災で社殿が焼失し、同32年(1899)再建されました。大正10年(1921)郷社、更に昭和3年(1928)県社に昇格しました。

昭和20年(1945)8月、長岡空襲により再び全焼。現在の社殿は昭和54年(1979)に再建されたものです。

平潟神社の御朱印

御朱印は社務所にていただきました。書き置きのみの対応のようです。

平潟神社の御朱印

中央の朱印は「平潟神社」。右上の印は「長岡総鎮守」、左下は「平潟神社社務所之印」。

長岡藩 (シリーズ藩物語)長岡藩 (シリーズ藩物語)

平潟神社の参拝記

平潟神社はJR長岡駅から徒歩10分ほどのところに鎮座します。

鳥居

四月の初めで、鳥居の脇の桜が満開でした。

手水舎

手水舎。

境内社

境内社。気比貴神社・稲荷神社・天満宮・金刀比羅神社・厳島神社・松尾神社・淡島神社・大国主神社・蒼曾神社を合祀しています。

忠烈靖魂碑

忠烈靖魂碑。

戦災殉難者慰霊塔

戦災殉難者慰霊塔。

拝殿

拝殿。向拝付きの神明造りです。

拝殿

拝殿、斜めから。

社号額

拝殿の社号額。

本殿

本殿。

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