杵築大社〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
杵築大社
出雲国神門郡杵築宮内村(島根県出雲市大社町杵築東)

杵築大社の納経

吉備津宮に参拝した太郎助は、中国山地を越えて杵築大社に参拝しています。現在の出雲大社です。

納経帳には「大社」とあるのみですが、出雲大社への改称は明治4年(1971)で、それ以前は杵築大社あるいは杵築社・杵築大神宮などと呼ばれていたということなので、ここでは杵築大社とするのが妥当でしょう。

出雲大社については多くを説明する必要はないでしょう。

記紀などには、国譲りに応じた大国主命に対し、壮大な宮を造営し、天照大神の子である天穂日命に祀らせたことが記されています。

この宮は「天日隅宮」(日本書紀)、「所造天下大神宮」(出雲国風土記)などと呼ばれ、延喜式神名帳には「杵築大社」とあります。また天穂日命の子孫は出雲臣の姓を賜って出雲国造となり、その後裔の千家氏・北島氏が現代にまで受け継いでいます。

また、旧暦10月は神無月といいますが、全国の八百万の神々が出雲大社に集まって神議を行うためといわれます。そのため、出雲では「神在月(かみありづき)」と称し、神々を迎えての神事が行われます。

現在の本殿は延享元年(1744)の造営で、太郎助が参拝したのはそれから約80年後ということになります。高さ8丈(約24m)という壮大な建築ですが、中古にはその倍の16丈(約48m)、上古にはさらにその倍の32丈(約96m)あったという伝承もあります。その真偽はともかくとしても、大社の名にふさわしい社殿ということができるでしょう。

なお、吉備津神社と同じように、杵築大社でも明治を待たず、寛文年間(1661~72)に神仏分離が行われています。また、中世には杵築大社の御祭神が素盞嗚尊とされていたのですが、この時に本来の御祭神である大国主命に復しました。

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杵築大社の納経

杵築大社の納経

順拝帳を見ると、墨書部分は右から

「出雲国」
「大社」「大国主大神」
「末社三十八社」
「乙酉四月十九日」「執事」

中央上の朱印は「天日隅宮」、左下は「社頭執事」。

さて、ここで問題になるのが「末社三十八社」です。出雲大社には境内に摂社が8社、境外に摂末社が13社あるのですが、これらをすべて合わせても38社にはなりませんし、末社というわけでもありません。

この謎は、他の六十六部の納経帳によって解決しました。

杵築大社の納経

弘化3年(1846)、六十六部の納経帳の杵築大社。太郎助の順拝帳とほぼ同じですが、「大国主大神」の右側に「摂社七社」と書かれています。

「摂社七社」とは、境内にある摂社のうち、十九社を除く7社(御向社、天前社、筑紫社、素鵞社、氏社、門神社、釜社)、「末社三十八社」は十九社(東西2棟あるので、19×2=38)と考えられます。

十九社は神在月に全国から集まった神々の宿所となる社で、普段は全国の神々の遥拝所となっています。現在は摂社とされているようですが、かつては末社だったのでしょう。

この「摂社七社」を入れるのが本来の形で、本殿に祀られる大国主大神を中心に、境内に祀られる神々を表しているようです。朱印の「天日隅宮」も、杵築大社の異称としてではなく、本来の意味である大国主大神を祀る本殿そのもののことかもしれません。

太郎助の順拝帳は、たぶん担当者が「摂社七社」を書き忘れしまったのでしょう。

出雲大社出雲大社

杵築大社の概要

杵築大社(きづきたいしゃ)
現名称:出雲大社
御祭神:大国主大神
創建年代:神代
鎮座地:出雲国神門郡杵築宮内村(島根県出雲市大社町杵築東)
社格等:式内社(名神大社)、出雲国一宮、旧官幣大社、別表神社
http://www.izumooyashiro.or.jp/

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