文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国57番 石清水八幡宮・府頭山 無量寿院 栄福寺
伊豫国越智郡八幡村(愛媛県今治市玉川町八幡甲)
江戸時代までの四国57番札所は石清水八幡宮(現在の石清水八幡神社)で、別当の栄福寺が納経を司っていました。
石清水八幡神社の別当は栄福寺と浄寂寺の2ヶ寺でしたが、もっぱら栄福寺が納経を司ったようです。現在は栄福寺が札所になっています。
栄福寺は弘法大師の開創と伝えられます。寺伝によれば、弘仁年間(810~24)当地を巡錫した弘法大師が、近辺の海で海難事故が多いことから、海神供養の護摩を修しました。その満願の日、海中から阿弥陀如来が出現したので、府頭山(八幡山)に一宇を建立して安置したことに始まるとされます。
石清水八幡神社は、貞観元年(859)大和国・大安寺の行教上人が宇佐より八幡大神を奉じて山城国の男山へ向かう途中、暴風雨に遭って当地の沖を漂流しました。その時、望見した府頭山の山容が男山に似ていたことから、山頂に八幡宮を勧請して勝岡八幡と称したとされます。
元は長福寺と称しましたが、後に乗泉寺と称するようになり、寛政4年(1792)に栄福寺と改称しました。因みに、私の手許にある享保11年(1726)の納経帳は乗泉寺になっています。
また一説には、河野躬深が片岡に勧請し、勝岡八幡宮と称したともされます。
後に源頼義が現社地に遷し、山城国男山の石清水八幡宮を模して社殿を建立して、社号も石清水八幡宮に改称したとされます。寂本の『四国徧礼霊場記』には、源頼義と河野親経が建立した伊予国内四十九ヶ所の薬師堂と八社の八幡宮の随一であると記されています。
江戸時代の納経帳には「伊豫一国」「一国一社」等の文言が見え、また石清水八幡神社の参道にも「伊豫一社 五十七番 石清水八幡宮」という社号標があることから、当社が伊豫国の一国一社八幡宮(国府八幡宮)であったと思われます。
栄福寺の納経
『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に
「奉納経」「四国霊場」
「伊豫一国石清水八幡宮」
「別当」「栄福寺」
中央に宝印はありません。右上の印は「第五拾七番」、左下は「栄福之印」。
石清水八幡宮・栄福寺の概要
石清水八幡宮(いわしみず はちまんぐう)
現名称:石清水八幡神社
御祭神:品陀和気命、足仲彦命、息長帯比売命/配祀:市杵島比売命、多紀理比売命、多岐津比売命
創建年代:貞観元年(859)
伊豫国越智郡八幡村(愛媛県今治市玉川町八幡甲)
社格等:旧県社
府頭山 無量寿院 栄福寺(えいふくじ)
現名称:府頭山 無量寿院 栄福寺
御本尊:阿弥陀如来
創建年代:弘仁年間(810~24)
開山:弘法大師
所在地:伊豫国越智郡八幡村(愛媛県今治市玉川町八幡甲)
宗派等:高野山真言宗
http://www.eifukuji.jp/
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