四国49番 浄土寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国49番 西林山 三蔵院 浄土寺
伊豫国久米郡鷹子村(愛媛県松山市鷹子町)

四国49番浄土寺の納経

四国49番浄土寺は、寺号も縁起も浄土教と深い関わりを持つ寺院ですが、御本尊は阿弥陀如来ではなく釈迦如来です。

寺伝によれば、天平勝宝年間(749~57)孝謙天皇の勅願により、恵明上人が行基菩薩御作の釈迦如来像を本尊として開創しました。後に弘法大師が巡錫した際、伽藍を再興して法相宗から真言宗に改めたと伝えられます。

天徳年間(957~60)「市聖」として名高い空也上人が3年間滞在し、里の人々に念仏の教えを説きました。今も「南無阿弥陀仏」の名号が六体の小さな阿弥陀如来になって口から現れている空也上人の木像が伝わっており、重要文化財に指定されています。

また、院号の「三蔵院」は、浄土宗の開祖・法然上人、第二祖・聖光上人、第三祖・良忠上人の自作像を安置していたことに因みます。ただし、これらの像は昭和20年(1945)の松山空襲の際、出開帳先で焼失してしまいました。

建久3年(1192)源頼朝が一門の繁栄を祈願して伽藍を修復しましたが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明16年(1484)領主・河野通宣によって再建されました。現在の本堂はこの時のもので、国の重要文化財に指定されています。

最盛期には末寺66坊を誇りましたが、河野氏が没落すると寺運も衰退しました。江戸時代に入って中興第一世とされる宥雄法印が復興に尽力、慶安2年(1649)大規模な修繕が行われました。

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浄土寺の納経

四国49番浄土寺の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に

「奉納豫州松山」
「本尊釈迦如来」
「西林山浄土寺」

中央上の朱印は蓮の上に釈迦如来の種字「バク」、文殊菩薩の種字「マン」、普賢菩薩の種字「アン」。右上は「第四十九番」、左下は判読しづらいのですが、同時期の納経帳から判断して「三蔵密院」のようです。

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浄土寺の概要

西林山 三蔵院 浄土寺(じょうどじ)
現名称:西林山 三蔵院 浄土寺
御本尊:釈迦如来
創建年代:天平勝宝年間(749~57)
開山:恵明上人
所在地:伊豫国久米郡鷹子村(愛媛県松山市鷹子町)
宗派等:真言宗豊山派

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