清凉寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
五台山 清凉寺
山城国葛野郡上嵯峨村(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)

清凉寺の納経

石山寺に参拝した太郎助は大津から京都を横断したようで、嵯峨の清凉寺に参拝しています。清凉寺の御本尊・赤栴檀の釈迦如来は釈尊37歳の生身のお姿をそのまま伝える霊像とされ、古くから信仰を集めてきました。

清凉寺の起原は、嵯峨天皇の皇子・源融の没後、その別荘を寺院とした棲霞寺にあります。天慶8年(945)源重明が新堂を建立し、金色等身釈迦如来を安置しました。

寛和3年(987)東大寺の僧・奝然上人は唐より将来した赤栴檀の釈迦如来像を安置するため、愛宕山を唐の五台山に見立てて大清凉寺の建立を企図しましたが、その志を果たすことなく遷化しました。そこで弟子の盛算は棲霞寺の釈迦堂に赤栴檀の釈迦如来像を安置し、勅許を得て五台山清凉寺と号しました。

この赤栴檀の釈迦如来像は、奝然上人が唐に渡った際、台州の開元寺で現地の仏師に依頼し、天竺の優填王が釈尊の在世中に造ったと伝えられる霊像を模刻したものです。胎内には五臓六腑を象った納入物が納められた生身の御像であり、「三国伝来の釈迦像」と称されます。

当時から摂政・藤原兼家をはじめとする朝野の信仰を集め、これを模刻した清凉寺式釈迦と呼ばれる像も造られました。建長元年(1249)に興正菩薩叡尊が模刻させた西大寺の御像をはじめ、全国に百体ほどあるそうです。

江戸時代の六十六部の納経帳でも清凉寺の納経はよく見られ、当時も信仰を集めていたことがわかります。

清涼寺の納経

清凉寺の納経

順拝帳を見ると、揮毫は右から順に

「奉納経」
「三国 伝来」
「釈迦如来」
「嵯峨 清凉寺」
「知事」

中央の宝印は判読しづらいのですが、浄土宗の寺院ですから「仏法僧宝」の三宝印でしょう。その上にも放射状の印影が見えるのですが、よくわかりません。左下の黒印も判読しづらいのですが、「清凉寺」ではないかと思われます。

清凉寺釈迦如来像 日本の美術 第513号 (513)清凉寺釈迦如来像 日本の美術 第513号 (513)

清凉寺の概要

五台山 清凉寺(しょうりょうじ)
現名称:五台山 清凉寺
通称:嵯峨釈迦堂
御本尊:釈迦如来(赤栴檀の釈迦如来)
創建年代:寛和3年(987)
開基:奝然
山城国葛野郡上嵯峨村(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)
宗派等:浄土宗

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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