浄土真宗と御朱印についての雑感

居多神社親鸞聖人像

居多神社の親鸞聖人像(上越市)

浄土真宗と御朱印について実際の資料を提示しながらまとめてきましたが、その内容を踏まえながら、人生の半分近くを主に信じさせる側として新宗教に携わってきた人間として、いろいろ思うところを書いてみたいと思います。(※御朱印に関する情報はありません)

浄土真宗と御朱印(1)
浄土真宗と御朱印(2)
浄土真宗と御朱印(3)
浄土真宗と御朱印(4)
浄土真宗と御朱印(5)
浄土真宗と御朱印(6)

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大谷派が御朱印をしない理由

真宗大谷派のサイトには、大谷派が御朱印をしない理由についてのリーフレットの内容が掲載されています。

http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/leaflet/02.html

思わず納得してしまいそうですが、実に巧妙な詭弁です。

でも、ちょっと待ってください。お寺とは朱印を集めるためにお参りするところなのでしょうか。それならば、一度朱印をもらえば、二度とお参りすることはないでしょう。大事なのはお参りしたことがあるかどうかではなくて、お参りして教えに出遇(あ)ったかどうかです。また、どんな教えに出遇ったかということであるはずです。(以上、印用)

でも、ちょっと待ってください。朱印をもらったら教えに出遭えないのでしょうか? 参拝して朱印をもらわなければ教えに出遭えるのでしょうか? 教えに出遭う目的でなければ参拝してはいけないのでしょうか? むしろ、御朱印をきっかけに教えに出遭うということもありうるのではないでしょうか。

中外日報の報道によれば、浄土真宗各派では今秋から報恩講参拝推奨のための「スタンプラリー」を催すそうです。近年の御朱印ブームにあやかろうということらしいのですが、教義上、宗教行為としての御朱印には否定的なので、スタンプなのだそうです。

http://www.chugainippoh.co.jp/religion/news/20150508-002.html(※リンク切れ)

それによれば、スタンプラリーの実施に当たっては「門徒以外の一般市民へのご縁づくりにもつなげたい」のだそうですが、要するに御朱印ではないにしても、スタンプラリーを教えに出遭うきっかけにしたいということでしょう。でも、上記リーフレットの論旨で言えば、御朱印はダメだけどスタンプラリーはいいということにはなりませんよね。

御朱印を拝受することと、教えに出遭うことは次元の異なる話であって、どちらかをとるというようなものではありません。つまり大谷派による「朱印をしない理由」は、まったく朱印をしない理由になってないわけです。実際、この論は上記スタンプラリーの実施によって破綻しています。

そもそも「一度朱印をもらえば、二度とお参りすることはない」なんて、何を根拠に決めつけているのでしょう。こういう勝手に相手の行動を決めつけて、それを根拠に自分たちの正しさを主張するのは、カルトといわれる宗教の人が他宗教と自分たちの宗教を比較し、自分たちの正統性を主張するときによく使う論法です。

本願寺派が御朱印をしない理由

一方、「御朱印総合研究所」さんのサイトには、御朱印をしない理由についての問い合わせに対する本願寺派の回答が掲載されています。

http://www.geocities.jp/goshuinsouken/newpage11.html

それによれば、中村元博士の『広説 仏教語大辞典 中巻』の「納経」の項目を根拠として、御朱印は納経の習慣に源流があり、納経は自力の善根を他者に振り向けようとする行為である。真宗の教えでは凡夫の私たちが自力の善根を積み重ねても自分の利益にも他者の利益にもならないので、祈祷や追善供養は行わない。よって、御朱印は行わない、といったようなことが述べられています。

これも巧妙ですが、詭弁です。釈尊の教えとは相いれない自力作善の否定を、自力作善があたかも釈尊が否定した祈祷や先祖の追善供養に限定されるかのようにすり替えているところがミソです。御朱印の否定のようで、実は祈祷や先祖への追善供養の否定が目的になっているわけです。

凡夫の自力による善根には利益がないとして本願他力の信仰を説く親鸞聖人の教えは、日本大乗仏教の一つの極致であり、非常に優れた内容ですが、表面的に見れば釈尊の教えからの逸脱です。例えば、戒律を授かることによって初めて僧侶の資格を得るというのが釈尊の時代から定められた条件ですから、受戒しない真宗の僧侶は仏教の僧侶の資格があるのか、とさえ言えます。つまり、仏教の基本中の基本と浄土真宗の浄土真宗たるゆえんは、少なくとも形の上では相容れないという深刻な問題があるわけです。

これをうまいこと誤魔化して、あたかも浄土真宗が釈尊の教えに最も忠実であるかのように見せかけるための手段が、祈祷や先祖の追善供養の否定です。祈祷や追善供養は日本仏教にとって不可欠のものですから、これらを否定することによって、日本仏教の他宗派より釈尊の教えに忠実であるかのように装っているわけです。神祗不拝(神社には参拝しない)の強調や清めの塩の否定も同様で、御朱印の否定もその一環として理解できます。

追善供養を否定しながら、収入の柱である葬儀や年忌法要は屁理屈をつけて継続するなど肝心なところはご都合主義で、しかも本当の根本問題は曖昧にしたままです。それを誤魔化すためにも、自ずと主張を過激化させざるを得ないのでしょう。例えば葬儀の場で「冥福を祈る」と言ってはいけないなど、人間の感情を無視した歪さを感じさせます。

阿弥陀様って、そんなに狭量なのでしょうか?

ただ、そのいう立場を認めたうえで考えるとしても、浄土真宗の御朱印は納経に由来するわけではなく、当初から参拝記念という意味合いが強いものであったわけですから、御朱印の起源が納経の習慣にあり、追善回向という意味合いがあるから授与しないという主張はきわめて滑稽かつ無意味なものといえるでしょう。

本願寺派と大谷派の不都合な過去

御朱印に関しては、現代の本願寺派や大谷派を主導している人たちにとって不都合な真実が関わっています。それは、本願寺教団の本当の過去です。

真宗の御朱印の起源…江戸時代の真宗の順拝帳が、親鸞聖人や蓮如上人を慕い、その旧跡を巡拝した記念として御判をいただいたことに始まることはすでに述べたとおりです。しかし、江戸時代の門徒が慕っていた親鸞聖人は、我々が知っている親鸞聖人とはずいぶん違うのです。

現代の浄土真宗は、キリスト教で言えばプロテスタントの自由主義神学に近い印象があります。また、現代人の親鸞聖人に対するイメージは倉田百三の『出家とその弟子』の影響が大きいと思われます。

しかし、そういう浄土真宗・親鸞聖人観は明治以降、プロテスタントや近代合理主義的価値観におもねって形成されてきたものであり、それ以前はまったく違っていました。明治以前の本願寺教団は、生き仏たる本願寺法主の権威のもとに多様な各地の念仏集団を統合した、キリスト教で言えばむしろカトリックに近い教団だったのです。

江戸時代以前の親鸞聖人像は、阿弥陀如来の化身で奇跡の体現者、四国八十八ヶ所の伝承などに見る大師信仰の対象としての弘法大師のような存在です。その後継者である歴代本願寺法主は絶対的な宗教的権威を持った生き仏でした。

親鸞聖人が阿弥陀如来の化身であるというのは、本願寺第3世・覚如(親鸞の曾孫で、事実上本願寺の基礎を築いた)が著した『御伝鈔』上巻第四段にあります。これは、阿弥陀如来の脇侍である勢至菩薩の化身とされた法然上人よりも親鸞聖人のほうが上位の存在であるという主張にもなっています。

江戸時代の親鸞聖人のイメージを知るための手がかりとして、有名な「越後の七不思議」を確認してみましょう。

居多神社片葉の葦

居多神社の片葉の葦(上越市)

1.国府の片葉の葦…越後配流された親鸞聖人はまず居多神社に参拝し、念仏弘通を祈願して「すゑ遠く法をまもらせ居多の神 弥陀と衆生のあらむ限りは」と詠みました。すると一夜のうちに居多神社境内の葦が片葉になるという奇瑞が示されました。

2.田上の繋ぎ榧(つなぎがや)…親鸞聖人が田上の護摩壇城主・宮崎国光に招かれて法を説いた時、接待に炒った榧の実を出されました。当時、萱の実は年貢米の代わりとして納めるため、実に穴をあけて糸を通し、数珠のようにして保管していました。親鸞聖人が出された榧の実を庭に蒔くと、不思議なことに芽が出て実を生じました。その実は、数珠状にして保存していたときのように穴が開いていました。これを見て宮崎国光は親鸞聖人に帰依しました。(国の天然記念物)

3.鳥屋野の逆さ竹…親鸞聖人は鳥屋野に草庵を結び、教えを説いていたが耳を傾ける人はいなかった。そこで「私が広めている仏法がもし仏の御意に適うのであれば、この枯れた竹に根も芽も生じるであろう」といって手に持っていた竹の杖を地面に突き刺した。やがて竹に根が生じて竹林になったが、上下を逆に突き刺したものか、不思議なことに枝葉が逆さに伸びていました。(国の天然記念物)

4.山田の焼鮒…流罪を解かれた親鸞聖人が、山田の山王権現の社で見送りの信徒と別れの宴を催した時、一人の信徒が焼いた鮒を献じました。親鸞聖人は身に着けていた袈裟を近くの楠にかけ、「我が真宗の御法が仏意に適い、念仏往生に間違いなければ、この鮒、必ず生きるべし」と言って境内の池に放したところ、鮒は生き返って泳ぎだしました。以来、このあたりの鮒には焼き痕のような黒い色が残っているといいます。また、寛政8年(1796)山王権現境内の大楠が大風で折れたため切ったところ、切り口に親鸞聖人のお姿と焼鮒の形が現れました。

5.保田の三度栗…親鸞聖人が保田で老女に法を説いた時、喜んだ老女はお礼に焼いた栗を差し出しました。別れ際、聖人は焼き栗を出し、「我が勧める弥陀の本願が末世に繁盛するのであれば、この栗ここに根芽を生じ、一年に三度花咲き実るべし」と言って蒔きました。すると焼き栗は芽を出し、6月、8月、10月の年に3度花を咲かせました。当時の木は枯れてしまいましたが、若木が今も残っています。

6.小島の八房の梅…親鸞聖人が小島の里で布教しているとき、聖人の教えに帰依した夫婦が塩漬けにした梅を差し上げた。聖人が「弥陀の本願を信じて浄土往生間違いなければ、つけた梅から芽を生じ、花一輪に八つの実を結んで末代まで栄え、凡夫往生の証拠となるべし」と言って庭に埋めると、梅の木が生えて花八重の花を咲かせ、一輪に八つの実を結ぶようになったといいます。

7.小島の数珠掛桜…親鸞聖人が小島の草庵を去る時、道端の桜に掛け、「我が弘める法に間違いなくば、花ふさ数珠の如くならん」と言ったところ、花が数珠の房のように垂れ下がって咲くようになったといいます。(国の天然記念物)

いずれも弘法大師伝説を思わせる話ばかりです。現代的に言えば、珍しい動植物を親鸞聖人による奇跡譚に結び付けたということになるのでしょうが、江戸時代以前の門徒にとっては、親鸞聖人とその教え、ひいてはその権威を受け継ぐ本願寺法主の偉大さを生々しく実感する証拠でした。

このことがわかれば、なぜ真宗の順拝帳に寺宝に関する内容が書かれているかがよくわかります。真宗の御旧跡順拝における寺宝は、カトリックの巡礼にとっての聖遺物に相当するわけです。

法主に対する信仰は熱烈なもので、それこそ地方を法主が巡教すると、法主の入った風呂の残り湯を飲むといったことさえあったといいます。一向一揆なども生き仏としての法主への信仰があったればこそ、戦国大名をも恐れさせる勢力を誇ったといえるでしょう。

しかし、現代の本願寺派や大谷派では、こういった本願寺の過去の歴史はほぼ封印されています。親鸞聖人が(現代的な意味での)迷信とは無縁な近代合理主義価値観の持ち主であり、本願寺は他宗とは異なる理性的な教えを守ってきた教団だったことにしたい人たちにとっては、江戸時代以前の伝統的な真宗は忘れ去り、消し去りたい黒歴史なのでしょう。

神社を参拝した親鸞聖人

しかも、越後七不思議の第一が居多神社の片葉の葦であるように、親鸞聖人の伝記には当然の如く神社や神々が登場しており、神祇不拝を強調する一部の本願寺派や大谷派の過激な人たちにとっては非常に不都合です。

本願寺派や大谷派の過激な人たちは神祇の存在を信じないため(そもそも本当に阿弥陀様や極楽の実在を信じているのかも疑問ですが)、親鸞聖人も神々の存在など信じない近代科学主義的な価値観の持ち主だったと思いたいのでしょう。

しかし、親鸞聖人は霊的感性の衰えた近代人ではなく、まだまだ目に見えない存在が身近だった中世の人です(六角堂での観音様の夢告を信じて法然上人の弟子になったぐらいです)。実際、親鸞聖人は門徒に送った手紙の中で、神々を蔑ろにしないように教えているそうです。

親鸞聖人の『現世利益和讃』には、南無阿弥陀仏を称えれば神々が尊敬し、日夜常に護るとあります。決して神々など目に見えぬ存在を否定していません。神々が尊敬し、日夜護るというのは、もともと自分にそういう価値があったからではなく、ひとえに阿弥陀如来のおかげです。まっとうな心の持ち主であれば、当然、まずは阿弥陀様に感謝するでしょうし、護ってくださる神々にだって感謝するでしょう。

親鸞聖人は常陸の稲田で『教行信証』を著した際、一切経その他を閲覧するためにしばしば鹿島神宮を訪れたと言われています。また、関東における親鸞聖人の弟子である二十四輩筆頭の性信房をはじめ、順新房、乗念房などは鹿島神宮の社家の出身とされていますが、もし親鸞聖人の教えが神祇を否定するようなものであれば、大変な問題になっていたはずです。特に一族でも問題になっていないということこそ、親鸞聖人が神祇への敬意を否定しなかった(救済の主体とは考えないだけで)ことの何よりの証拠といえるでしょう。

ネット上で見ていると、本願寺派や大谷派の過激な人の中には、神祇不拝こそ真宗の戒律などと言う人がいるようですが、その基準からいえば親鸞聖人も不合格ということになるでしょう。一方、熱心な真宗地帯である北陸地方にも由緒ある神社が数多く守られてきています。真宗だから神社に参拝しないなどというのは、教義の問題というより各自の人間性の問題ではないでしょうか。同じ教えを聞いても、とらえ方やそれに基づく行動には個人差がありますので(親鸞聖人の教えを聞いて、悪人の救済こそ弥陀の本願なのだからといって積極的に悪を造ろうとする人たち…造悪無碍…が現れたように)。

ともかく、御朱印の否定はそういう不都合な過去の否定とも関わっているように思われます。

これからどうなるのだろうか?

とはいえ、本願寺教団が大発展したのは親鸞聖人を阿弥陀如来の化身とし、本願寺法主をその後継者たる生き仏とする教団としてであって、近代合理主義的・理性的な教団としてではありません。

そして、キリスト教のプロテスタントにおいて自由主義神学的な教派が衰退し、聖書を文字通り信じ、進化論を否定する福音派が伸長しているように、合理主義的・理性的な教義は、人々の熱意を引き出し、大教団を形成するには不向きなのです。

理性的・合理主義的な教義は、日常生活の中で知的欲求を満たすためには有効でしょう。理性的・合理主義的な教義で対応できる場面は宗教以外、例えば医学や心理学でも代替可能です。しかし、本当に宗教でしか対応できない場面では、理性的・合理主義的な教義では対応不可能です。なぜなら、理性や合理主義で対応できないからこそ、宗教しか縋るものが残っていないからです。

だからこそ、未だに祈祷や占い・託宣といったものの需要があるわけですし、今後もなくなることはないでしょう。もちろん、親鸞聖人が説かれた本願他力、阿弥陀様にすべて委ねるというのも一つの在り方ですが、簡単にそういう信心が得られるわけではありません。

だからこそ、親鸞聖人が阿弥陀如来の化身であり、本願寺の法主はその後継者たる生き仏であって、目に見える対象としての本願寺法主に帰依すれば極楽に往生するという、より簡易な教えがきわめて有効だったわけです。

蓮如上人はそのことをよく理解していたからこそ、親鸞聖人の教えを平易かつ的確にまとめた「御文」と、本願寺法主を生き仏とする信仰を両輪として、あの巨大な本願寺教団を形成することができたのでしょう。

江戸時代以前の本願寺の在り方を封印し、法主の権威を否定した現代の本願寺派や大谷派は、両輪のうちの片方がなくなった状態です。これは、近代仏教学の洗礼を受けた他宗派にも見られる状態ですが、真宗がもっとも極端です。

従来は、檀家制度により宗団・寺院は維持できてきたこと、科学万能主義の風潮化でより理性的・合理主義的な教義が時代の価値観に合致していたことなどにより、その本質的な問題は放置されてきました。そして、満たされない需要を新宗教が満たし、多くの信者を集めていたわけです。

しかし、いよいよ檀家制度が限界をきたし、伝統仏教も従来のままでは生き残れない段階に入りました。意識のある僧侶などによる活動も活発になりつつありますが、あくまで近代的・現代的価値観の範疇でやっているように思われます。

近代的・現代的価値観が限界にきているのに、それを近代的・現代的価値観で乗り越えようというのは無理ではないでしょうか。やはり伝統仏教なのですから、明治以降に切り捨てられた江戸時代以前の仏教を見直すところから始めるのが常道でしょう。

今の時代に御朱印がブームになっているというのも、非常に示唆的だと思います。

そういったことを思うにつけても、御朱印は教義的に認められないからスタンプラリーなどと言っている真宗(正確には本願寺派と大谷派)というのは、先が厳しいなあと思います。

凡愚であると口では称しながら、内心では己が賢しらを誇っているからこそ、こういうことになるのでしょう。いや、それこそが本当に凡愚であるということなのかもしれませんが。

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