謹賀新年 平成卅年戊戌歳

伊奴神社犬石像

明けましておめでとうございます。

旧年中はご愛読ありがとうございました。

昨年はサイトのリニューアルに注力していたことと、リアルでいろいろあったことから、特に年の後半、ブログの更新がほとんどできませんでした。

今年もしばらくは今のような状態が続く予定ですが、サイトとの違いを出して「覚え書き」の名の通り気軽な感じで更新できればと考えています。

サイトのリニューアルについては、内容や体裁を見直しながらの作業のため、思ったようにはかどっていませんが、まずは東京の神社を完了させたいと思います。

さて、御朱印界隈の状況を見ると、御朱印ブームはまだまだ進行中です。オリジナルの御朱印帳や限定御朱印・月替わり御朱印なども増え続け、情報を把握するだけでも大変なほどです。

他方、一部の寺社では御朱印を求めてくる人のマナーの悪さから対応を止めたという話も聞かれます。また、茨城県の神社の宮司さんによる御朱印帳の転売に関するツイートが話題になったりもしました。

全体から見ればごく一部の人に過ぎないとは思うのですが、御朱印を止めさせるほどマナーが悪い…常識に欠けるというのは情けない話です。

「お客様は神様です」というのは日本の接客業の美点だとは思いますが、あくまで店の側の心構えであって、客の側が「自分が神様」と考えるのは筋違いでしょう。まして神社では御祭神が神様だし、お寺では御本尊が仏様であり、参拝者が偉そうにするなど言語道断です。もちろん、神職や僧侶が偉そうにするのもどうかと思いますが。

お互いに相手に配慮するのが日本人の美徳であり、参拝する側としては、神社やお寺の方に「御朱印してよかった」と思ってもらえるよう心がけることが大切だろうと思います。それによって御朱印の対応をしていない寺社が新たに授与するようになれば、御朱印をいただく側にとってもこれほどいいことはないはずです。

それと、参拝せずに御朱印だけいただく不心得な人たちについて。

そもそも御朱印は参拝の証しとしていただくものですから、たとえ信仰心がなくとも、御朱印をいただく際にはきちんと参拝するのが人としての礼儀でしょう。

とはいえ、私の観点からすれば、せっかく御朱印をいただくために神社仏閣を訪れているにも関わらず、敢えて参拝しないなどというのは勿体ないなあと気の毒に思います。

神仏の前で手を合わせることの価値というのは、実際に手を合わせてみなければわかりません。しかも、ごく稀な例外を除いて、1回や2回手を合わせたからといってわかるものでもありません。継続しているうちにわかってきて、さらに深まっていくものです。

教師をしていた母方の叔父が、数年前に子供のいなかった一番上の伯父が亡くなったため仏壇を受け継ぎました。先の大戦中に生まれ、戦後の雰囲気で教育を受けた人なので、習俗としての墓参りなどは尊重していても、そこに信仰的な価値を感じるような人ではなかったのですが、仏壇を受け継いで毎日お参りしていると、何か日常の中での感じ方が違ってきた、仏壇に手を合わせるのはいいものだと思うようになった、と言っていました。

神社やお寺への参拝も同じようなもので、継続しているうちにそのよさを感じるようになり、さらに深まっていくものです。そうでなければ、義務感だけで毎朝神棚や仏壇に手を合わせたり、神社に参拝したりするのを続けられるわけがありません。

御朱印をいただくために寺社に参拝していれば、参拝そのものを目的としなくても参拝を継続することができます。そうしているうちに、自ずから神仏の前で手を合わせることの良さを感じることができるようになるわけです。にもかかわらず、せっかく時間を費やして寺社を訪れながら参拝をせずにすますなど、私からすればこれほど勿体なく愚かしいことはありません。

まあ、そういったことも訴えながら、御朱印を取り巻く環境をよりよくしていければと考えています。

不心得な人たちを非難したところで、そういう人たちが改心するのはあまり期待できません。それよりも、心ある人たちが連携して、より神社やお寺、御朱印の世界をよい方向に盛り上げていくのが最善の対処法ではないでしょうか。

幸い、昨年は「御朱印マニア」を運営されているsoragotoさんの呼びかけでTwitter界隈で御朱印や神社に関心を持っている方達と懇親の場を持つことができました。今年は、そういった方々と交流しながら、さらに大きな動きにしていくことができればと思います。

それでは、皆様にとりまして新しい年が良き年となりますようお祈りいたします。

本年もよろしくお願いいたします。

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