こまいぬ

文政8年『神社仏閣順拝帳』

西国18番 頂法寺(六角堂)〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国18番 紫雲山 頂法寺(六角堂) 山城国 下京 堂之前町 (京都市中京区堂之前町) 善峯寺に参拝した太郎助は京の町に入り、まず西国18番頂法寺に参拝しています。頂法寺は六角堂の名で親しまれ、また華道の池坊の発...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

西国20番 善峯寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国20番 西山 善峯寺 山城国乙訓郡小塩村(京都市西京区大原野小塩町) 総持寺を参拝した太郎助は再び山城国に入り、西国20番善峯寺に参拝しています。摂津と山城の境、釈迦岳の山腹に多くの堂塔が立ち並び、境内の広さ...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

西国22番 総持寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国22番 補陀洛山 総持寺 摂津国島下郡総持寺村(大阪府茨木市総持寺) 西国23番勝尾寺を参拝した太郎助は京都のほうへ向きを変え、22番総持寺を参拝しています。総持寺の御本尊は亀の背に乗った観音様として有名です...
御朱印拝受

六椹八幡宮

山形県山形市鉄砲町1-3-5 六椹八幡宮(むつくぬぎはちまんぐう) 正式名称:六椹八幡宮 御祭神: 誉田別尊 息長帯姫命 比咩大神 創建年代: 天平年間(729~49) 例祭:9月14日・15日 社格等:旧県社 (iタウンページ) (六椹八...
御朱印考察

納経請取状から御朱印へ〔四天王寺〕

これまで何度も書いてきたように、御朱印の起源は六十六部廻国聖の納経請取状です。これは江戸時代の納経帳や六十六部の研究から明らかなのですが、残念なことにこれまで納経請取状の実物を見る機会がありませんでした。 ところが先日、国立東京博物館で行わ...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

西国23番 勝尾寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国23番 応頂山 勝尾寺 摂津国島下郡粟生村(大阪府箕面市粟生間谷) 西国21番穴太寺を参拝した太郎助は、22番総持寺ではなく23番勝尾寺に向かっています。24番中山寺以西の寺は既に参拝し終えているため、勝尾寺...
御朱印拝受

大垣八幡神社

岐阜県大垣市西外側町1-1 大垣八幡神社(おおがきはちまんじんじゃ) 正式名称:八幡神社 御祭神: 応神天皇 神功皇后 比咩大神 /合祀:大山咋神 創建年代: 建武元年(1334) 例祭:5月13日・14日 社格等:旧県社
御朱印考察

御朱印の起源再考--なぜ納経の証明が必要だったのか?

御朱印は日本独自の文化で、世界的に見ても御朱印に類するものはないようです。 そして、御朱印の起源は六十六部廻国聖(六十六部)の納経請取状にあります。江戸時代に納経帳の形を取るようになり、それが西国や四国の巡礼者にも広がったのが現代の御朱印に...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

西国21番 穴太寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国21番 菩提山 穴太寺 丹波国桑田郡穴太村(京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻) 嵯峨の清凉寺を参拝した太郎助は、そのまま丹波へ抜けて西国21番穴太寺に参拝しています。
御朱印拝受

粟田神社

京都市東山区粟田口鍛冶町1 粟田神社(あわたじんじゃ) 正式名称:粟田神社 旧称:感神院新宮 粟田天王宮 御祭神:建速素盞嗚尊(牛頭天王) 大己貴命 /左座:八大王子命(八嶋士奴美神・五十猛神・大屋彦神・大屋媛神・抓津媛神・須勢理媛神・大歳...